佐柿国吉城
Sagaki Kuniyoshi Castle
佐柿国吉城は弘治2年(1556年)粟屋勝久築城と伝わる、元和元年(1615年)廃城とされるに築かれた中部の名城。城主は粟屋勝久(築城者)、木村定光(Awaya Katsuhisa (founder); Kimura Sadamitsu)。
概要
概要
佐柿国吉城は、福井県三方郡美浜町佐柿の山中に築かれた山城である。若狭国と越前国の国境に位置する「境目の城」として、戦国期には若狭武田氏の重臣・粟屋勝久が越前朝倉氏の侵攻を幾度も退けた堅城として知られる。若狭武田氏の勢力が衰えるなかで、勝久は在地領主として独自に城を守り続け、後には織田政権とも結びついて若狭東部に確固たる地位を築いた。
築城と城主変遷
弘治2年(1556年)、若狭武田氏の重臣・粟屋勝久によって築かれたと伝わる。永禄6年(1563年)から永禄12年(1569年)にかけ、越前の朝倉氏がほぼ毎年のように若狭へ侵攻したが、勝久はそのつど国吉城に籠城して撃退し、その攻防は後年「国吉城籠城記」に記された。元亀元年(1570年)、織田信長が越前朝倉氏攻めに際してこの城に入城して本陣とし、勝久の長年の軍功を賞したと伝わる。天正11年(1583年)以降は木村定光が城主となり、土造りだった城を石垣造りに改修した。元和元年(1615年)、廃城になったとされる。
構造
若狭と越前を結ぶ交通の要衝である椿峠付近に位置する。山麓の居館部には土塁・石垣・石組みの溝や建物礎石が残り、平時の生活拠点であったことがうかがえる。山上の詰城部には、高さ2メートル以上の高土塁で囲った出丸(二の丸跡)のほか、東と北西の2箇所に平虎口を設けた本丸跡があり、部分的に石垣も残る。北西尾根には5つの曲輪が階段状に連なる連郭式の構造が確認できる。木村定光による改修以降は石垣も部分的に用いられるようになり、若狭東部を代表する戦国山城の遺構として今にその姿を伝える。
現状
続日本100名城(139番)に選定され、山麓には旧佐柿奉行所跡地に若狭国吉城歴史資料館が建つ。資料館では国吉城や若狭武田氏に関する史料が展示されており、資料館から本丸までは登山道で片道約30分。美浜町指定史跡として保存されている。
刀剣との関わり
見どころ
- 弘治2年(1556年)粟屋勝久による築城と伝わる、若狭・越前の境目の城
- 永禄〜元亀年間、朝倉氏の度重なる侵攻を撃退した籠城戦で知られる
- 元亀元年(1570年)織田信長が越前攻めの本陣とした
- 木村定光による改修で土の城から石垣造りへ
- 山麓の若狭国吉城歴史資料館、続日本100名城(139番)選定
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。