※画像はイメージです。興国寺城
Kōkokuji Castle
興国寺城は室町時代後期〜江戸時代初期(伝・長享元年〈1487年〉築城、慶長12年〈1607年〉3月廃城)に築かれた中部の名城。城主は伊勢盛時(北条早雲、築城伝承)、富永氏、今川氏、北条氏(垪和氏続)、武田氏、徳川氏(牧野康成・松平清宗・河毛重次)、中村一氏家臣、天野康景(興国寺藩主)(Ise Moritoki (Hōjō Sōun, by tradition the builder); the Tominaga family; the Imagawa; the Hōjō (Haga Ujitsugu); the Takeda; the Tokugawa (Makino Yasunari, Matsudaira Kiyomune, Kawage Shigetsugu); a retainer of Nakamura Kazuuji; Amano Yasukage (lord of the Kōkokuji domain))。
概要
概要
興国寺城は、静岡県沼津市根古屋にあった連郭式の平山城。愛鷹山から南へ延びる尾根の先端を利用し、東海道と根方街道を扼する要衝に築かれた。別名を根古屋城といい、戦国大名・後北条氏の祖である伊勢盛時(北条早雲)の「旗揚げの城」として知られる。
築城と伝承
伊勢盛時は、駿河守護・今川義忠の正室となった姉を頼って今川氏に身を寄せ、義忠の急死後に起きた家督争いを収めて今川氏親を助けた。その功により長享2年(1488年)に富士郡内の十二郷を与えられ、興国寺城主となったと伝わる。ただし築城そのものを裏づける同時代史料は確認されておらず、確実な文書上の初出は天文18年(1549年)に今川義元が興国寺の移転を命じて城地としたという記録である。したがって「長享元年(1487年)早雲築城」は伝承として扱われている。
城主の変遷
今川・武田・北条の三氏が駿河東部で争った境目の城であり、城主は今川氏、北条氏(垪和氏続)、武田氏、徳川氏(牧野康成ら)と目まぐるしく交代した。豊臣期には中村一氏の家臣が入り、江戸時代初頭には天野康景が入って興国寺藩が立藩したが、康景の出奔により慶長12年(1607年)3月に廃城となった。
構造・遺構
北から天守台・本丸・二の丸・三の丸が一直線に並ぶ連郭式の縄張りをとる。本丸北側の伝天守台には野面積みの石垣が残り、天端約24メートル、下端約13メートル、高さ約4メートルと推定される。背後を断ち切る大空堀は幅22〜30メートル、深さ約15〜20メートルに達する巨大なもので、武田氏の築城技術を示す三日月堀も検出されている。
現状・アクセス
1995年に国の史跡に指定され、2017年には続日本100名城(145番)に選定された。沼津市による発掘調査と整備が継続しており、本丸・土塁・大空堀・伝天守台の石垣を間近に見学できる。JR原駅から徒歩約30分、または富士急バス「東根古屋」下車徒歩約3〜5分。
刀剣との関わり
見どころ
- 後北条氏の祖・伊勢盛時(北条早雲)の「旗揚げの城」として伝わる
- 今川・武田・北条・徳川が争奪した駿河東部の境目の城
- 幅22〜30メートル・深さ15〜20メートルの巨大な大空堀と野面積みの伝天守台石垣
- 1995年国指定史跡、2017年続日本100名城(145番)選定
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。