※画像はイメージです。龍岡城
Tatsuoka Castle
龍岡城は慶応3年(1867年)完成、幕末期に築かれた最後期の城郭に築かれた中部の名城。城主は松平乗謨(大給松平家)(Matsudaira Noritane (Ōgū Matsudaira clan))。
概要
龍岡城(たつおかじょう)は長野県佐久市に位置し、幕末の慶応3年(1867年)に完成した日本で2か所しかない「稜堡式城郭(りょうほしきじょうかく)」の一つである(もう一つは函館の五稜郭)。西洋の星形要塞を参考に設計されたこの城は、大砲時代の軍事技術を取り入れた先進的な築城法として幕末日本に登場したが、完成直後に明治維新を迎え、一度も実戦に使用されることなく歴史の幕を閉じた。
築城を命じたのは三河奥殿・信濃田野口藩(後に龍岡藩)の藩主・松平乗謨(のりたね)である。乗謨は長崎で蘭学を学び、西洋の軍事技術に精通した開明的な大名であり、幕府の陸軍取調掛(軍制改革担当)も務めた。彼は五稜郭と同様の設計思想を持つ星形城郭を信州の山間地に建設することを決断し、元治元年(1864年)から工事を開始、慶応3年に完成させた。
龍岡城の設計は五辺形(五芒星状)の稜堡(かどる)を持つ星型要塞で、各頂点に砲台を配置し、死角をなくす設計となっている。堀で囲まれた本郭内には陣屋建築が配置され、西洋式と和式が融合した独特の空間を形成している。現在は五稜郭(ごりょうかく)の別名で知られる「龍岡城五稜郭」として国の史跡に指定されており、御台所(おだいどころ)が現存する唯一の建築物として残っている。
五稜郭といえば函館が有名だが、信州の龍岡城は規模こそ小さいながら、日本に2か所しかない稜堡式城郭として希少価値が高い。幕末という動乱の時代に西洋の軍事技術を導入しようとした松平乗謨の先見性と、実戦を経ることなく明治を迎えた城の儚い運命が、訪れる人に幕末の歴史を深く考えさせる。
毎年4月中旬から5月上旬には城址に桜が咲き誇り、長野県内でも有数の花見スポットとなっている。佐久市の田野口地区に位置し、清々しい高原の空気の中で歴史を感じることができる観光地である。
刀剣との関わり
龍岡城と刀剣の関係は、幕末という「刀から銃へ」の転換期に深く根ざしている。松平乗謨は西洋式軍制を研究し、刀剣よりも小銃・大砲を重視する近代軍事思想を持った大名であったが、幕末の武士にとって日本刀は依然として精神的・儀礼的な意義を持ち続けていた。 龍岡城が完成した慶応3年(1867年)は、徳川慶喜が大政奉還を行い、刀の時代の終焉が目前に迫っていた年である。翌年の戊辰戦争(1868年)では、銃器と刀剣が混在する過渡期の戦いが各地で繰り広げられた。松平乗謨が整備しようとした西洋式軍制は、まさに刀剣から小銃へのシフトを促進するものであった。 信州(長野)には「信濃物(しなのもの)」と呼ばれる刀工の伝統があり、龍岡城周辺の佐久地方でも刀剣文化は根付いていた。廃刀令(1876年)以降、武士の刀は美術品・家宝として位置づけが変わり、龍岡城近辺の旧藩士たちも先祖伝来の刀剣を大切に保管した。明治以降の松平乗謨(大給恒、大給松平家)は賞勲局総裁などを務めて近代日本の栄典制度の確立に携わり、最終的に伯爵に叙せられ、日本の文化財保護の礎にも貢献した。
見どころ
- 日本2か所の稜堡式城郭 — 函館の五稜郭と並ぶ星形要塞、全国でも2例のみの希少な城郭
- 松平乗謨の先見性 — 西洋軍事技術を信州山間地に実装した幕末の改革派大名
- 御台所(現存建築) — 城内唯一の現存建造物、幕末建築の貴重な遺構
- 幕末最後期の城郭 — 慶応3年(1867年)完成、明治維新直前に築かれた最後の城の一つ
- 龍岡城五稜郭(国の史跡) — 空から見ると明瞭な五角星形、歴史の皮肉を体現する城
- 春の桜 — 4月下旬〜5月上旬に石垣・堀沿いに咲く桜が絶景
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