※画像はイメージです。鮫ヶ尾城
Samegao Castle
鮫ヶ尾城は戦国時代(史料初出は天正7年〈1579年〉)に築かれた中部の名城。城主は堀江宗親(Horie Muneshika)。
概要
概要
鮫ヶ尾城は新潟県妙高市に築かれた戦国時代の山城で、上杉謙信の居城・春日山城の南方を守る最前線の要害として整備された。史料上の初出は天正7年(1579年)で、城主は堀江宗親であったと伝わる。標高185mの城山に築かれ、6箇所の大曲輪、6条の長大な堀切、100箇所を超える切岸などが構築された、越後国内でも屈指の規模を誇る山城である。
御館の乱の決戦地
同年、上杉謙信の急死をきっかけに養子の上杉景勝と上杉景虎が家督を争った「御館の乱」が勃発した。御館を追われた景虎は関東への逃走路を求めて鮫ヶ尾城に身を寄せたが、城主・堀江宗親は景勝方の調略に応じて二の丸に火を放って退去。総攻撃を受けた景虎は妻子ともども自刃し、乱は終結した。
現状
発掘調査では16世紀後半の被熱遺物が広範囲から出土しており、御館の乱における焼き討ちの痕跡を今に伝える。遺構の残存状態は極めて良好とされ、2008年に国の史跡に指定された。現在は「斐太歴史の里」の一部として登城道が整備され、続日本100名城にも選定されている。
刀剣との関わり
鮫ヶ尾城そのものに特定の名刀が伝来した記録はないが、この城で決着した御館の乱は、上杉謙信が生涯にわたって蒐集した名刀コレクションの継承者を決定づけた戦いでもあった。正親町天皇から謙信が拝領したと伝わる粟田口吉光作の短刀「五虎退」や、謙信の愛刀として知られる「姫鶴一文字」は、勝者となった上杉景勝の手によって上杉家の家宝として守り継がれ、後年「上杉家御手選三十五腰」に選ばれるなど、現在も米沢市上杉博物館に伝わっている。鮫ヶ尾城での景虎の敗死は、これら上杉家伝来の名刀群の行方を決定した歴史的分岐点であった。
見どころ
- 斐太歴史の里 — 鮫ヶ尾城跡と斐太遺跡群を含む史跡公園
- 本丸跡 — 御館の乱で上杉景虎が最期を迎えた曲輪
- 6条の大堀切 — 戦国期山城の高度な普請技術を伝える遺構
- 北・南・東の登城道 — 3方向から城跡を巡ることができる整備された遊歩道
- 続日本100名城 — 2017年選定
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。