※画像はイメージです。玄蕃尾城
Genbao Castle
玄蕃尾城は天正年間築城、天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いで本陣に築かれた中部の名城。城主は柴田勝家(Shibata Katsuie)。
概要
概要
玄蕃尾城(げんばおじょう)は、福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬の県境にある内中尾山の山頂に築かれた山城である。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて柴田勝家の本陣が置かれたことで知られ、1999年(平成11年)7月13日に「玄蕃尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定された。2017年(平成29年)には続日本100名城(140番)にも選ばれている。
築城と賤ヶ岳の戦い
本能寺の変の後、柴田勝家は羽柴(豊臣)秀吉との対決に備えて北国街道を押さえる要地に陣城を構えた。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは、勝家がこの玄蕃尾城を本陣とし、余呉湖周辺に布陣する秀吉方と対峙した。城名は勝家の重臣・佐久間玄蕃允盛政にちなむ尾根道「玄蕃ヶ尾」に由来すると伝わる。
構造
城跡には枡形虎口をはじめ、曲輪・土塁・馬出・空堀・櫓台などの遺構が良好な状態で残る。織豊期の陣城の縄張りをほぼ完全にとどめており、短期間の軍事行動のために築かれた高度な築城技術を今日に伝える貴重な城跡として評価されている。
武将との関わり
玄蕃尾城は織田家筆頭家老・柴田勝家の最後の本陣であり、賤ヶ岳の戦いはその後の天下の帰趨を決した合戦であった。この敗戦により勝家は越前北ノ庄城へ退いて自刃し、羽柴秀吉が織田政権の後継者としての地位を固めることとなった。
現状
賤ヶ岳の戦いの後、玄蕃尾城は廃城となった。山中に位置するため開発を免れ、土の城の遺構が良好に保存されている。現在は登山道が整備され、織豊期の縄張りを体感できる山城として城郭ファンに知られている。
刀剣との関わり
織田家筆頭家老・柴田勝家の本陣として、天下の帰趨を決した賤ヶ岳の戦いの舞台となった戦国武将の陣城である。
見どころ
- 柴田勝家の最後の本陣
- 賤ヶ岳の戦いの舞台
- 織豊期陣城の縄張りが良好に残存
- 枡形虎口・馬出・空堀
- 続日本100名城(140番)
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。