※画像はイメージです。土岐高山城
Toki-Takayama Castle
土岐高山城は南北朝時代(暦応年間築城)〜江戸時代初期(1615年廃城)に築かれた中部の名城。城主は高山氏(高山秀頼ら5代)/平井光行・頼母/森長可/田丸直昌/妻木氏(The Takayama clan (5 generations from Takayama Hideyori); Hirai Mitsuyuki and Tanomo; Mori Nagayoshi; Tamaru Naomasa; the Tsumagi clan)。
概要
概要
土岐高山城は岐阜県土岐市土岐津町高山、土岐川を見下ろす標高181mの山上に築かれた中世山城である。暦応年間(1338〜1342年)、土岐氏一族の高山秀頼(伊賀守)によって築かれたと伝わり、美濃源氏土岐氏発祥の地の一つに数えられる。土岐市指定文化財(史跡)に指定されている。
高山氏から平井氏へ
高山城は高山秀頼を初代として以後五代にわたり高山氏の居城となったが、後継者を欠き断絶した。その後は土岐氏一族の所領を経て、1556年頃、武田信玄の命により平井光行が城主となり、子の頼母が跡を継いだ。
織豊期の攻防
高山城は織田信長と武田信玄・勝頼父子の勢力境界に位置したため、しばしば争奪の対象となった。1582年(天正10年)の本能寺の変後、東濃平定を進める金山城主・森長可に城主・平井頼母が抗って滅ぼされ、以後は森氏の支配下に入った。
関ヶ原の戦いと廃城
森氏のあと岩村城主・田丸直昌の所領となり、1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属した直昌方が高山城に籠もったが、東軍に与した妻木家頼の攻撃を受けて落城した。戦後は妻木氏の所領となったが、1615年(慶長20年)の一国一城令により廃城となった。
構造と現状
全山が泥板岩からなり、三方を断崖絶壁に囲まれた天然の要害を利用した山城で、出丸・二の丸・本丸・三の丸を備え、高さ3mの櫓台状の土塁が残る。現在は物見櫓が建てられて土岐市街地を一望でき、2016年には岐阜県の環境保全モデル林として周辺が「土岐高山城跡の森」に整備された。約200本のしだれ梅と約350本の花桃が植えられ、秋には紅葉のライトアップも行われている。
高山宿との関係
城跡の麓には、江戸期から明治期にかけて下街道の宿場町として栄えた高山宿が広がる。善光寺参りや伊勢参りの旅人、荷物輸送の往来で賑わったといい、南宮神社北側には枡形の街道遺構が残る。
刀剣との関わり
見どころ
- 土岐高山城跡の森(しだれ梅・花桃)
- 物見櫓からの眺望
- 高山宿の枡形街道遺構
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。