※画像はイメージです。要害山城
Yōgaisan Castle (Mount Yōgai Castle)
要害山城は戦国時代(永正17年〈1520年〉築城)、関ヶ原の戦い後の慶長5年〈1600年〉廃城に築かれた中部の名城。城主は武田信虎(築城)、武田信玄、駒井昌直・武藤山城ら(城番)、豊臣期は甲府城主・加藤光泰(改修)(Takeda Nobutora (builder); Takeda Shingen; castellans including Komai Masanao and Mutō Yamashiro; under Toyotomi rule, Katō Mitsuyasu, lord of Kōfu Castle, who renovated it)。
概要
築城
要害山城は、永正17年(1520年)6月、武田信虎が居館・躑躅ヶ崎館の詰城として、その東北にあたる丸山に築いた山城である。今川氏や関東勢の侵攻に備えた甲府盆地防衛の要であった。
信玄生誕の地との伝承
翌永正18年(1521年)、駿河今川氏の家臣・福島正成らが甲斐へ侵攻すると、信虎の正室・大井夫人は身重のまま要害山城に避難し、その最中に嫡男・太郎(後の武田信玄)を出産したと伝わる。山頂の主郭には「武田信玄公誕生之地」と刻まれた東郷平八郎揮毫の石碑が建てられている。
城主の変遷
武田氏の時代は駒井昌直・武藤山城らが城番を務めた。天正10年(1582年)の織田信長による武田征伐後は徳川氏の支配を経て豊臣系大名が入り、文禄年間には甲府城主・加藤光泰が要害山城の改修を行ったとされる。関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600年)に廃城となった。
構造
山腹から主郭に至る山道沿いに枡形虎口を伴う門と曲輪が連続的に配され、竪堀・堀切が要所を固める。主郭は東西約73メートル・南北約22メートルの広さを持ち、土塁で囲まれる。加藤光泰改修時とみられる穴太積みの石垣も部分的に確認でき、東側には支城の熊城が控える。
現状
戦国大名・武田氏が築いた詰城であり、中世豪族の居住・防衛形態を示す遺構として重要視され、平成3年(1991年)3月30日に国の史跡「要害山」に指定された。2017年には続日本100名城(128番)に選定されている。
刀剣との関わり
見どころ
- 武田信虎が躑躅ヶ崎館の詰城として築いた山城
- 武田信玄生誕の地と伝わり、山頂に「武田信玄公誕生之地」の石碑(東郷平八郎書)
- 竪堀・堀切・穴太積み石垣など中世から近世移行期の遺構が良好に残る
- 1991年国指定史跡「要害山」、2017年続日本100名城(128番)に選定
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。