※画像はイメージです。村上城(舞鶴城)
Murakami Castle (Maizuru Castle)
村上城(舞鶴城)は16世紀初頭に本庄氏が築いたと伝わる、江戸期に堀氏が近世城郭として整備に築かれた中部の名城。城主は本庄繁長 / 堀氏 / 松平氏(村上藩)(Honjō Shigenaga / Hori clan / Matsudaira clan)。
概要
村上城は新潟県村上市に位置する山城であり、「舞鶴城(まいづるじょう)」の雅称で親しまれている。臥牛山(がぎゅうさん、標高135m)の山頂に築かれた要塞であり、日本海側(越後北部)の要衝として戦国〜江戸時代を通じて重要な役割を果たした。
城の起源は戦国時代の16世紀初頭に本庄氏が築いたとされ、当初は「本庄城」と呼ばれていた。戦国時代には本庄繁長がこの城を本拠として越後の有力武将として台頭した。繁長は上杉謙信の重臣でありながら、謙信に対して一時反旗を翻したことで知られる異骨の武将であり、後に武田信玄と内通したとも伝わる。
関ヶ原合戦後に越後に封じられた堀氏(堀秀治の家)の村上頼勝・堀直寄が村上城を整備し、近世城郭としての石垣・天守台を整えた。その後松平氏(村上藩)が城主となり、幕末まで越後北部を統治した。
幕末には戊辰戦争において旧幕府方に属した村上藩が新政府軍と激突し、城は一時的に攻防の場となった。明治時代に廃城となり、建物はほぼすべて失われたが、巨大な石垣が良好な状態で残存しており、国の史跡に指定されている。村上城の石垣は「穴太積み(あのうづみ)」の高度な技術を示す優品として城郭研究者に高く評価されている。
また村上市は「日本最北の茶産地」として知られ、城下町の歴史的街並みも整備保存されている。
刀剣との関わり
村上城と日本刀の結びつきは、越後の刀剣文化と切り離せない。越後国(現・新潟県)でも各地で刀工が活動したが、日本刀の主要伝法である五箇伝(大和・山城・備前・相州・美濃)には含まれず、「越後物」という確立した一大流派が形成されたわけではない。村上城主・本庄繁長は、上杉謙信のもとで活躍した越後の精強な武将であり、越後物の刀剣を愛用したと伝わる。 上杉謙信の直属の重臣であった本庄氏の刀剣文化は、謙信の武器蒐集の影響を強く受けていた。謙信は「三日月宗近」「山鳥毛(さんちょうもう)」などの名刀との縁が語られる刀剣の蒐集家であり、その文化的薫陶は家臣である本庄氏にも及んだ。越後の刀工群は謙信の保護のもとに発展し、越後物の実戦刀は全国的な評価を得ていた。 村上城を引き継いだ堀氏は豊臣秀吉の重臣であり、秀吉から拝領した名刀を所持していたと記録されている。村上藩主となった堀直寄は堀直政の子で、越後坂戸・長岡を経て元和4年(1618年)に村上へ転封された人物である。その後の松平氏は徳川将軍家と縁の深い大名であり、将軍から拝領した刀剣・武具を代々受け継いだ。 村上市内の若林家住宅(国の重要文化財)などの武家屋敷には、刀剣・武具に関する資料が保存されており、越後北部の武士文化を今に伝えている。
見どころ
- 石垣群(穴太積み) — 良好に残る近世城郭の巨大石垣、国の史跡指定
- 天守台 — 天守は失われたが石垣で囲まれた台座が往時の規模を伝える
- 臥牛山からの眺望 — 村上市街・日本海・朝日岳連峰を一望する絶景
- 村上城址公園 — 石垣を巡る散策路が整備された史跡公園
- 若林家住宅(武家屋敷) — 国重要文化財、江戸期の武士文化を伝える
- 村上の城下町街並み — 歴史的建造物が保存された「城下町村上」
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