※画像はイメージです。高田城(関川城)
Takada Castle
高田城(関川城)は慶長19年(1614年)築城(天下普請)に築かれた中部の名城。城主は松平忠輝(徳川家康六男) / 榊原家 / 酒井家(Matsudaira Tadateru (sixth son of Tokugawa Ieyasu) / Sakakibara clan / Sakai clan)。
概要
高田城は慶長19年(1614年)、徳川家康の六男・松平忠輝の居城として、わずか4か月という驚異的な短期間で築かれた。この迅速な完成を可能にしたのは「天下普請(てんかぶしん)」と呼ばれる全国の大名に課した大規模な助役制度であり、各地から集まった大名と職人たちが総力を挙げて建設にあたった。
高田城最大の特徴は、天守を持たない「天守なし城」であることだ。通常、近世城郭の象徴である天守を築かなかった理由については、忠輝が後に改易(大名資格の剥奪)となることを見越して幕府が意図的に天守建設を認めなかったとも、短期工事のため時間的余裕がなかったとも言われる。代わりに築城当初は二重櫓が天守の代用とされた(現在の三重三階櫓は寛文5年〔1665年〕の高田地震後に再建されたもの)。
城の縄張りは輪郭式の平城で、内堀・外堀と蓮が生い茂る水堀が城を取り囲む。現在の高田城址公園の堀には蓮が群生し、夏に咲き誇る蓮の花と秋の水面の美しさは「高田の三大夜桜」と並ぶ名物となっている。特に春の夜桜(約4000本のソメイヨシノ)は日本三大夜桜の一つとして全国的に有名である。
松平忠輝は家康の六男でありながら、その奔放な性格と伊達政宗の娘を正室に迎えた縁により幕府の疑念を受け、元和2年(1616年)に改易された。その後、城は榊原家・酒井家などを経て、幕末まで高田藩の本城として機能した。
刀剣との関わり
高田城と刀剣の関係は、城の歴史的背景と越後の武士文化に深く根ざしている。松平忠輝は徳川家康の六男として、江戸幕府初期の刀剣文化が最も隆盛した時代に大名として活動した。家康自身が刀剣の鑑定家として知られており、その息子である忠輝も刀剣への関心を持っていたと考えられる。 高田藩に寛保元年(1741年)入封した榊原家は徳川家譜代の名門大名であり、榊原康政が家康の四天王の一人として活躍した家柄である。康政は「榊原源氏車」(榊原家の家紋)で知られる武将であり、刀剣を武士の魂として重んじた。高田藩の榊原家時代には、京都・大坂の名工による刀が積極的に取り寄せられ、藩の武器庫には質の高いコレクションが形成された。 忠輝の改易後にいち早く入封した酒井家の時代には、越後の刀工文化との融合が進み、高田(上越)地方独自の刀剣鑑賞の文化が育まれた。越後の刀工は「越後物」として知られ、雪国の厳しい気候風土の中で鍛えられた実用的な刀は全国に流通した。高田城下の武士たちは、実戦的な越後刀と装飾的な京・大坂刀の両方を嗜み、刀剣文化の豊かな土壌を育てた。
見どころ
- 復元三重櫓 — 1993年再建、夜桜シーズンのライトアップは特に幻想的
- 日本三大夜桜 — 約4000本の染井吉野が堀沿いに咲き誇る春の名物
- 夏の蓮 — 内堀を埋め尽くす蓮の群生は「蓮城」の異名を持つほど
- 高田城址公園 — 四季を通じて市民と観光客が集う上越最大の公園
- 上越市立歴史博物館 — 高田城と高田藩の歴史資料を体系的に展示
- 外堀の水面 — 鏡のような水面に映る三重櫓は絶好の撮影スポット
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。