※画像はイメージです。帰雲城(内ヶ島城)
Kaerikumo Castle (Uchigashima Castle)
帰雲城(内ヶ島城)は室町時代中期〜安土桃山時代(1462年頃築城、1586年埋没)に築かれた中部の名城。城主は内ヶ島氏(内ヶ島為氏〜内ヶ島氏理)(The Uchigashima clan (from Uchigashima Tameuji to Uchigashima Ujisato))。
概要
概要
帰雲城は岐阜県大野郡白川村保木脇、帰雲山の山麓に築かれた山城で、内ヶ島氏の居城であった。寛正年間(1461〜1466年)の1462年頃、内ヶ島為氏によって築かれたと伝わる。1586年(天正13年)の天正大地震により城と城下町ごと山崩れに埋没し、一夜にして姿を消した城として知られる。
内ヶ島氏の支配
内ヶ島氏は白川郷一帯を治めた国衆で、帰雲城を本拠として四代・約120年にわたり勢力を保った。金山・銀山の経営によって富を蓄えたとされ、最後の当主・内ヶ島氏理の代には周辺勢力との外交によっても家運を保っていたとされる。
天正大地震による埋没
1585年11月29日(天正13年11月29日、グレゴリオ暦1586年1月18日)、中部地方を襲った推定マグニチュード8前後の天正大地震により、帰雲山で大規模な山体崩壊が発生した。折しも氏理主催の祝宴が城内で開かれていたとされ、崩落した土砂は城と城下の家屋300戸以上を一瞬で埋没させた。『長瀧寺荘厳講記録』には、白川・帰雲の両山が崩れ、氏理をはじめ五百人余りが牛馬とともに一瞬にして命を落としたと記されている。用水を堰き止めた土砂は河川氾濫も引き起こした。
一族の滅亡
この災害により内ヶ島氏理とその一族はほぼ全滅し、大名としての内ヶ島氏は事実上断絶した。生存者はわずかで、用事のため城外にいた数名にとどまったと伝えられる。
現状と調査
城の正確な位置は現在も特定されておらず、遺構も未発掘のままである。1972年には発掘・保存準備委員会が組織されて以来、有志による調査が続けられており、白川郷埋没帰雲城調査会により2027年に重機を用いた試掘調査が計画されている。保木脇には埋没伝承地を示す石碑・観音像が建てられている。江戸期以降「埋蔵金伝説」が語られるようになったが、これは近代になって広まった俗説とみられている。
刀剣との関わり
見どころ
- 埋没伝承地の石碑・観音像
- 天正大地震震央域の景観
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。