※画像はイメージです。古宮城
Furumiya Castle
古宮城は元亀2年(1571年)〜天正3年(1575年)頃廃城に築かれた中部の名城。城主は武田信玄(築城)/小幡又兵衛・甘利左衛門・奥平美作守ら在番(Takeda Shingen (builder); garrisoned by retainers including Obata Matabē, Amari Saemon, and Okudaira Mimasaka-no-kami)。
概要
概要と立地
古宮城(ふるみやじょう)は愛知県新城市作手清岳に位置する戦国時代の平山城で、標高約30メートルの丘陵に築かれた。三河国と信濃・遠江を結ぶ交通の要衝である作手盆地を押さえる目的で、武田信玄によって元亀2年(1571年)頃に築かれたと伝わる。2017年に続日本100名城(第150番)に選定された。
築城と武田氏の三河侵攻
作手一帯はもともと徳川方の奥平氏が亀山城を本拠として支配していたが、武田信玄は奥平氏・徳川家康への抑えとして独自に古宮城を新設し、三河侵攻の前線拠点とした。築城にあたっては家臣・馬場信房(信春)に縄張りが命じられたと伝わり、遠江国の諏訪原城を小型化したような技巧的な構成を持つとされる。
城主・在番の変遷
明確な城主の記録は乏しいが、小幡又兵衛・甘利左衛門・奥平美作守らが在番したとする伝承が残る。天正元年(1573年)、奥平貞能・信昌父子が武田氏から徳川氏へ再び転じると作手の情勢は流動化し、天正3年(1575年)の長篠の戦いで武田勝頼が敗れた後、古宮城は廃城になったとみられる。
構造の特徴
城域は東西約250メートル・南北約200メートルの規模を持ち、丸みを帯びた桝形虎口、幾重にも重なる土塁と横堀、多数の竪堀群など武田氏特有の築城技術が随所に見られる。中央の堀を挟んで東西二つの曲輪群に分かれる複郭構造も特徴的で、武田流築城術の代表例として城郭研究者から高く評価されている。
刀剣・武具との関わり
古宮城は武田信玄による三河侵攻の最前線基地として機能し、甲斐・信濃から持ち込まれた武具・刀剣が集積されたと考えられる。在番したと伝わる小幡氏・甘利氏はいずれも武田軍の譜代家臣であり、古宮城は武田流軍装の刀剣文化を三河国境に伝える拠点であった可能性が指摘されている。
現状と見どころ
現在は新城市指定史跡として整備され、土塁・堀・竪堀群が良好な状態で保存されている。作手歴史民俗資料館では周辺の山城群に関する資料が展示されており、古宮城とあわせて武田氏の三河侵攻ルートをたどることができる。
刀剣との関わり
武田信玄の三河侵攻最前線として甲斐・信濃から武具・刀剣が持ち込まれたと考えられる。在番したと伝わる小幡氏・甘利氏は武田軍譜代の家臣で、武田流軍装の刀剣文化を三河国境へ伝えた拠点とみられる。
見どころ
- 続日本100名城第150番・新城市指定史跡
- 武田信玄築城・馬場信房縄張りと伝わる武田流山城
- 丸みを帯びた桝形虎口と多重の土塁・竪堀群
- 遠江諏訪原城を縮小したような技巧的な複郭構造
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。