※画像はイメージです。新発田城
Shibata Castle
新発田城は慶長3年(1598年)築城開始、17世紀初頭に完成に築かれた中部の名城。城主は溝口秀勝 / 溝口家(Mizoguchi Hidekatsu / Mizoguchi Clan)。
概要
新発田城は新潟県新発田市に位置する平城であり、越後国の雄藩・新発田藩の本城として江戸時代を通じて機能した。城の最大の特徴は、三階櫓の屋根に鯱(しゃちほこ)ではなく三匹の鯱を重ねたような独特の形状の「三つ鯱」(みつしゃち)が載っていることで、全国でも類例を見ない珍しい意匠として城郭ファンに知られる。
築城の起源は戦国時代に遡るが、現在の城の基礎を築いたのは関ヶ原合戦後に越後新発田6万石を与えられた溝口秀勝である。秀勝は豊臣秀吉の家臣として活躍した武将であり、関ヶ原では東軍(徳川方)に属したことで所領を安堵された。以後、溝口家は幕末まで新発田藩主として11代にわたって続き、この地を治めた。
城の縄張りは輪郭式の平城で、二重の堀が城を囲む堅固な構造であった。明治維新後の廃城令によって多くの建築が解体されたが、旧二の丸隅櫓(現在は陸上自衛隊新発田駐屯地内に現存)が残り、本丸表門とともに国の重要文化財に指定されている(三階櫓は平成16年〔2004年〕の木造復元)。三階櫓の三つ鯱は新発田城のシンボルであり、城の復元整備が進む現在も観光客の人気を集めている。
新発田は「北越の小京都」とも呼ばれ、城下町として栄えた歴史を持つ。溝口家の文化的な素養により、茶道・能楽・武道が盛んであり、江戸時代を通じて越後の文化的中心地として機能した。
刀剣との関わり
新発田城と刀剣の関係は、越後国という日本刀の重要な産地との地理的・歴史的つながりに端を発する。越後は「越後物(えちごもの)」と称される刀剣の産地であり、室町時代から江戸時代にかけて多くの刀工が活動した。特に上越地方の刀工は実戦的な刀として評価が高く、上杉謙信以来の越後の武士文化の影響を受けた剛健な刀が打たれた。 溝口秀勝は豊臣秀吉の家臣として、大坂・京都の高度な刀剣文化に親しんでおり、新発田藩を治めた後も京都や大坂の名工による刀を蒐集した。溝口家12代の藩政を通じて、新発田城には京・大坂の名刀から越後地元の実戦刀まで多様な刀剣が収蔵された。 新発田藩は武道を重視する藩風があり、藩士の武芸訓練において刀の技が中心的な役割を果たした。藩校「道学堂」では文武両道の教育が行われ、刀剣の扱いも重要な科目の一つであった。越後の武士は上杉謙信の時代から「刀を以て義を守る」の精神を重んじており、その伝統は新発田藩においても脈々と受け継がれた。
見どころ
- 三つ鯱の三階櫓(2004年木造復元) — 全国唯一の三連鯱が載る城の象徴的建築
- 旧二の丸隅櫓(重要文化財) — 自衛隊駐屯地内に現存する江戸初期の遺構
- 本丸表門(重要文化財) — 江戸時代から現存する大手門
- 新発田城址公園の桜 — 越後随一の花見スポットとして春に賑わう
- 清水園(大名庭園) — 城下に残る溝口家ゆかりの数寄屋建築と庭園
- 新発田市歴史図書館 — 溝口家文書・城絵図など貴重な城郭史料を所蔵
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