※画像はイメージです。鳥越城(白山城)
Torigoe Castle (Hakusan Castle)
鳥越城(白山城)は文明年間(1470年代)頃に築城、天正8年(1580年)に織田軍により落城に築かれた中部の名城。城主は鈴木出羽守 / 一向一揆衆(Suzuki Dewa no Kami / Ikko Ikki forces)。
概要
鳥越城は石川県白山市に位置する山城であり、加賀一向一揆(いっこういっき)の最後の拠点として戦国史にその名を刻む城郭である。別名「白山城」とも呼ばれ、白山山系の麓に位置する鶴来(つるぎ)地方の丘陵上に築かれた要害である。
加賀一向一揆は、浄土真宗(一向宗)の門徒を主体とした農民・国人(地方豪族)による自治組織であり、長享2年(1488年)から約100年にわたって加賀国を支配した。この「百姓の持ちたる国」とも称された一向一揆の支配は、日本史上極めてユニークな自治的権力の形態として現在でも高く評価されている。
天正8年(1580年)から織田信長の家臣・柴田勝家が加賀・越中に侵攻し、一向一揆の各城を攻略していった。鳥越城は最後まで抵抗を続けたが、天正8年(1580年)に落城した。落城後、一向一揆の主要な指導者・鈴木出羽守は処刑され、100年にわたる一向一揆の支配に幕が降りた。
城跡は現在「鳥越城跡」として国指定史跡に指定されており、1994年に石垣が復元整備された。山頂から望む白山連峰と手取川渓谷の絶景は、この地の歴史的重みを一層引き立てる。隣接する二曲城(ふとじょう)跡とともに「鳥越・二曲城跡」として史跡整備されており、一向一揆の最後の抵抗の地として多くの歴史愛好家が訪れる。
刀剣との関わり
鳥越城と刀剣の関係は、加賀一向一揆という特異な歴史的存在と、北陸における刀剣文化の発展に深く関わっている。一向一揆の構成員は農民・僧侶・国人が混在しており、彼らが使用した武器も多様であった。刀・槍・薙刀(なぎなた)・弓矢などの在来の武器に加え、火縄銃も一揆衆の主要な武器となっていた。 一向一揆が支配した加賀国は、古来から刀剣の産地「加賀物(かがもの)」として知られており、特に越中(富山)・越前(福井)・加賀(石川)を含む北陸地方全体が優れた刀工の産地として高く評価されていた。一向一揆の支配下においても加賀の刀工は活動を続けており、一揆衆の武器需要に応えながら独自の刀剣文化を継承した。 信長・柴田勝家による一揆討伐の際、多数の刀剣・武具が戦利品として織田方に接収された。加賀一向一揆の総本山・本願寺(大坂石山本願寺)には多数の奉納刀剣が収蔵されていたとされ、その一部は石山合戦(1570〜1580年)を経て各地に散逸した。 加賀(石川県)の刀剣文化は現代においても「越中・加賀の刀」として刀剣コレクターに高く評価されており、金沢の石川県立歴史博物館には一向一揆ゆかりの武具・刀剣が展示されている。鳥越城から金沢へと至るルートは、加賀の刀剣文化を辿る歴史的な旅路となる。
見どころ
- 復元石垣(1994年) — 鳥越城の往時の姿を伝える整備された石垣遺構
- 白山連峰の絶景 — 山頂から望む霊峰白山と日本アルプスのパノラマ
- 手取川渓谷の眺め — 城の防御を担った天然の要害・手取川の絶景
- 二曲城跡(隣接) — 一向一揆の双子城として鳥越城とともに史跡指定
- 加賀一向一揆の歴史 — 百年の民衆自治の最後の拠点としての歴史的意義
- 石川県白山市の自然 — 白山ふもとの豊かな自然環境でのハイキング
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。