※画像はイメージです。野田城(三河国)
Noda Castle (Mikawa Province)
野田城(三河国)は室町時代後期(永正年間・16世紀初頭築城)、天正18年〈1590年〉城主移封に伴い廃城に築かれた中部の名城。城主は菅沼定則(築城)、菅沼定村(2代)、菅沼定盈(3代)(Suganuma Sadanori (builder), Suganuma Sadamura (2nd), Suganuma Sadamitsu (3rd))。
概要
概要
野田城は、愛知県新城市豊島にあった平山城で、奥三河地域に勢力を張った三河菅沼氏一族の居城。別名「根古屋城」「三河野田城」とも呼ばれる。武田信玄が生涯最後に攻めた城として知られる。
築城と歴史
永正年間(16世紀初頭)、三河菅沼氏の菅沼定則によって築かれ、子の定村、孫の定盈と三代にわたり居城とした。桶狭間の戦い(1560年)後、定盈は今川方から離反し徳川方に転じ、一時開城したが翌年奪還・修復している。以後、今川氏・武田氏からたびたび攻撃を受けた。
武田信玄との攻防と伝説
元亀4年(1573年)1月、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄は、約500の守備兵が籠る野田城を約3万の兵で包囲した。攻略には約1か月を要し、城内の水の手を断たれた菅沼定盈は同年2月16日に開城・降伏した。この籠城戦の際、城内から聞こえた村松芳休の笛の音に信玄が近づいたところを鳥居三左衛門が狙撃したとの伝説があり、黒澤明監督の映画『影武者』にも着想を与えたとされる。ただし信玄の慎重な性格から実際には別の武将であった可能性も指摘されている。信玄はこの直後に病状が悪化し、甲斐への帰途で没したと伝わる。
構造・遺構
本丸・二の丸・三の丸・曲輪・侍屋敷が直線的に連なる縄張りを持ち、両側を流れる川が天然の堀として機能した。現在は本丸の遺構(土塁・空堀)のみが確認できる。
現状・アクセス
天正18年(1590年)、城主の移封に伴い廃城となった。城跡は史跡として整備され、JR飯田線「野田城駅」から徒歩約15分。狙撃伝説にちなむ火縄銃「信玄砲」は新城市指定文化財として設楽原歴史資料館に展示されている。
刀剣との関わり
見どころ
- 奥三河の三河菅沼氏三代(定則・定村・定盈)の居城
- 武田信玄が生涯最後に攻めた城として知られる元亀4年(1573年)の攻防戦
- 信玄狙撃伝説の舞台、黒澤明『影武者』の着想源とされる
- 狙撃伝説に由来する火縄銃「信玄砲」が新城市指定文化財として現存
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。