※画像はイメージです。本栖城
Motosu Castle
本栖城は戦国期築城(築城年不詳)、天正10年(1582年)以降も在番に築かれた中部の名城。城主は武田氏(在番: 渡辺囚獄佑)(Takeda clan (garrisoned by Watanabe Hitoyanosuke))。
概要
築城の背景
本栖城は山梨県南都留郡富士河口湖町、本栖湖と精進湖に挟まれた烏帽子岳から青木ヶ原樹海へ張り出す尾根上、標高約1056mの地点に築かれた山城である。正確な築城年は不詳だが、天文・永禄年間(16世紀中頃)の武田氏文書に「本栖在城」の記載があり、甲斐と駿河を結ぶ中道往還沿いの国境警備拠点として機能していたことがうかがえる。
城主・在番
築城当時から武田信玄・武田勝頼の時代にかけて、甲斐・駿河国境を守る番城として武田氏の管理下に置かれた。天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると、徳川方に降った渡辺囚獄佑がこの城に在番し、侵攻してきた後北条氏の勢力を撃退したと伝わる。
構造
本栖城は東西に連なる尾根を利用した連郭式の山城で、曲輪・土塁・堀切・石塁などの遺構が残る。石塁には溶岩を積んだ「信玄築石」と呼ばれる部分があり、複数の堀切や狼煙台の跡も確認できる。
現状
現在も曲輪・堀切・石塁が比較的良好な状態で残存しており、登山道を通じて見学が可能である。現地には説明板が設置されているが、国や県による文化財指定は受けていない。最寄りは河口湖駅からバスで「石塁入口」バス停下車となる。
刀剣との関わり
なし
見どころ
- 武田氏による中道往還の国境防衛拠点
- 標高約1056mの尾根上に築かれた山城
- 溶岩を用いた石塁・連続堀切が現存
- 武田氏滅亡後は徳川方の渡辺囚獄佑が北条勢を撃退
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。