※画像はイメージです。安祥城
Anjo Castle
安祥城は室町時代(和田親平が築いたとされる)に築かれた中部の名城。城主は松平氏(のち織田信広・今川氏の城番)(Matsudaira clan (later Oda Nobuhiro and Imagawa garrison))。
概要
概要
安祥城(あんじょうじょう)は、三河国碧海郡安城(現在の愛知県安城市安城町)にあった城である。舌状台地の先端に築かれた平山城で、天守はなかった。周囲を森と深田に囲まれ、内側には土塁と堀があった。
築城
永享年間(15世紀前半)に和田氏(和田親平とされる)の居館として築かれたといわれる。文明3年(1471年)に岩津城の松平信光が入城したと伝わり、以後、安祥松平家4代(親忠・長忠・信忠・清康)の居城となった。もとは「安城城」と書き、「安祥城」と表記するようになったのは江戸時代からである。
争奪の経緯
松平氏が岡崎城に拠点を移した後も、安祥城は安祥松平家の重要拠点であり続けた。天文9年(1540年)に織田信秀が攻め落とし、織田信広を城代に置いた。天文14年(1545年)には松平広忠が奪還を試みたが大敗した。天文16年(1547年)、竹千代(のちの徳川家康)は織田方の人質となった。今川氏へ送られる途中で戸田康光に奪われたとする従来の説に対し、近年は広忠が織田方に降って自ら差し出したとする説が有力である。天文18年(1549年)、今川方の太原雪斎が攻め、一度は失敗したものの同年11月に再び攻めて落城させ、信広を捕らえて竹千代との人質交換に応じさせた。その後、今川氏は天野景泰や井伊直盛らを城番に置いた。
廃城と現状
桶狭間の戦いで今川義元が敗死し、清洲同盟が結ばれて前線としての価値が薄れたため、永禄5年(1562年)頃に廃城となった。その後、小牧・長久手の戦いの際にも兵が置かれている。現在は安祥城址公園として整備され、碑、塚、切岸、堀、一部の曲輪が残る。本丸跡には寛政4年(1792年)以降、大乗寺(了雲院)が建ち、二の丸跡には東尾八幡社がある。1988年以降の発掘調査で、境内の地下に戦国時代の遺構が残ることが分かっている。
刀剣との関わり
竹千代(のちの徳川家康)と織田信広の人質交換のきっかけとなった、戦国の争奪戦を語る城である。
見どころ
- 安祥城址公園 — 碑、塚、切岸、堀、一部の曲輪が残る
- 安城市歴史博物館 — 城址公園内にある
- 人質交換の発端 — 落城で捕らえられた織田信広が竹千代と交換された
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。