※画像はイメージです。置塩城
Okishio Castle
置塩城は文明元年(1469年)築城と伝わる、天正8年(1580年)城破りに築かれた関西の名城。城主は赤松氏(政則・義村・晴政・義祐・則房)(The Akamatsu clan (Masanori, Yoshimura, Harumasa, Yoshisuke, Norifusa))。
概要
概要
置塩城は、兵庫県姫路市夢前町にあった山城で、播磨守護赤松氏の居城である。標高約370mの城山に築かれ、藤丸城や置塩山城とも呼ばれる。城跡は国指定史跡「赤松氏城跡」の一部である。
築城と城主変遷
文明元年(1469年)、応仁・文明の乱で播磨守護に復権した赤松政則が築いたと長く伝えられてきた。城主は政則、義村、晴政、義祐、則房の赤松氏5代とされる。義村は養子として家督を継いだが、守護代の浦上村宗が実権を握り、永正18年(1521年)に殺害された。
近年の見方
兵庫県立歴史博物館の資料によれば、16世紀初め頃に義村の代で拠点が坂本から置塩へ移り、山城の整備は次の晴政の代、16世紀中頃と考えられるようになっている。15世紀の築城という伝承と、16世紀の本格整備という見方がある。
廃城
赤松則房は天正5年(1577年)に羽柴秀吉に従った。秀吉の播磨平定により、天正8年(1580年)に城破りが触れ出されて廃城となった。建物や石垣は姫路城に移されたと伝わる。
構造
連郭式の山城で、本丸・二の丸・三の丸を含む60以上の曲輪がある。曲輪の土手には低い石垣が築かれ、山頂付近には巨大な石垣や切岸、庭園跡も観察できる。発掘調査では、櫓とみられる煉瓦列の建物跡が見つかっている。
現状
城跡は1996年に赤松氏城跡(白旗城、感状山城とともに)として国の史跡に指定された。宮置の登城口から山頂付近まで徒歩約40分とされる。
刀剣との関わり
特定の刀剣との結びつきを示す典拠は未確認。
見どころ
- 播磨守護赤松氏の居城
- 文明元年(1469年)赤松政則の築城と伝わる
- 60以上の曲輪と石垣・切岸が残る連郭式山城
- 天正8年(1580年)に城破りで廃城
- 1996年に赤松氏城跡として国指定史跡
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。