※画像はイメージです。膳所城
Zeze Castle
膳所城は江戸時代(慶長6年〈1601年〉築城、明治3年〈1870年〉廃城)に築かれた関西の名城。城主は戸田一西(初代)、本多氏(本多俊次以降13代220年)(Toda Kazuaki (first lord); the Honda clan (13 generations over roughly 220 years from Honda Toshitsugu))。
概要
築城
膳所城は慶長6年(1601年)、徳川家康の命により江戸幕府による最初の天下普請として築かれた水城である。琵琶湖に突き出す形で築かれ、縄張りは「築城の名手」と称された藤堂高虎が担当した。瀬田の唐橋にほど近く、東海道と琵琶湖水運を押さえる要衝に位置した。
城主の変遷
築城当初は戸田一西が城主となり、以後、本多氏・菅沼氏・石川氏など譜代大名家が入れ替わった後、寛永11年(1634年)に本多俊次が7万石で入城した。以後13代・約220年にわたり本多氏の居城として明治維新を迎えた。
構造
梯郭式の平城で、本丸には4重4階の天守が上げられた。西側は琵琶湖を天然の堀とし、白壁の櫓や塀が湖面に映える姿から「湖水に浮かぶ城」と称された。
刀剣・武具との関わり
縄張りを手がけた藤堂高虎は、豊臣秀吉から拝領した黒漆塗唐冠形兜を所用したほか、「刀 金象嵌銘 備前国兼光 本阿弥(花押)」(名物・大兼光)と呼ばれる名刀を所持したことで知られる、武具にも造詣の深い武将であった。
現状
明治3年(1870年)の廃城後、大手門・北大手門・南大手門は近隣の膳所神社・篠津神社などへ移築され、現在は国の重要文化財に指定されている。本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、石垣の一部や模擬門が往時を偲ばせる。
刀剣との関わり
膳所城の縄張りを担当した藤堂高虎は、豊臣秀吉から拝領した黒漆塗唐冠形兜を所用したほか、「刀 金象嵌銘 備前国兼光 本阿弥(花押)」(名物・大兼光)と呼ばれる名刀を所持したと伝わる。城郭建築のみならず武具・刀剣にも造詣の深い武将であったことを示す逸話として知られる。
見どころ
- 徳川家康による天下普請第一号、藤堂高虎が縄張りを担当した水城
- 琵琶湖に浮かぶような姿から「湖水の浮城」と称された
- 大手門・北大手門・南大手門が国指定重要文化財として周辺に現存
- 本多氏13代220年の居城として明治維新まで続いた
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。