※画像はイメージです。大津城
Otsu Castle
大津城は天正14年(1586年)築城、慶長6年(1601年)廃城に築かれた関西の名城。城主は京極高次(Kyogoku Takatsugu)。
概要
築城の背景
大津城は滋賀県大津市浜大津、琵琶湖の南西岸に位置する平城である。天正14年(1586年)、豊臣秀吉の命により浅野長政が築城した。琵琶湖水運の要衝であった坂本城を廃し、その機能を移す形で新たに築かれたもので、本丸が当時の琵琶湖岸に直接面し、城内に港を備える「水城」であった。
城主変遷
築城後の城主は、浅野長政(1586-1589年)、増田長盛(1589-1590年)、新庄直頼(1591-1595年)と交代し、文禄4年(1595年)に京極高次が6万石で入城した。高次はその後、慶長5年(1600年)まで城主を務めた。
構造
大津城は望楼型4重5階の天守を持つ平城であったが、石垣の高さは約2メートルと低く、本格的な籠城戦を想定した堅固な城ではなかった。琵琶湖に面した立地は水運の掌握を主眼としたものであったとされる。
関ヶ原の戦い — 大津籠城
慶長5年(1600年)9月7日、東軍に属した京極高次は大津城に籠城し、関ヶ原へ向かおうとする毛利元康・立花宗茂ら西軍勢約1万5000に包囲された。長等山からの砲撃を受けながらも抗戦を続け、9月15日に立花宗茂の勧告を受けて開城した。この籠城戦により西軍の一部兵力が関ヶ原本戦への合流に間に合わなかったとされ、東軍勝利の一因になったとする見方がある。開城後、高次は若狭小浜城8万2000石へ転封となった。
現状
慶長6年(1601年)に廃城となり、天守などの建物は彦根城・膳所城へ移築されたと伝わる。現在、本丸跡地には城跡碑が立つのみで、指定文化財としての指定は受けていない。昭和55年(1980年)に石垣の遺構が発掘され、大津祭曳山展示館裏手にも外堀跡とみられる石垣の一部が現存する。
刀剣との関わり
なし
見どころ
- 琵琶湖畔の水城
- 関ヶ原の戦いにおける大津籠城の舞台
- 京極高次の籠城で西軍主力を足止め
- 天守は彦根城・膳所城へ移築と伝わる
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。