※画像はイメージです。宇陀松山城
Uda Matsuyama Castle
宇陀松山城は南北朝時代〜江戸時代初期に築かれた関西の名城。城主は秋山氏・多賀氏・福島高晴(Akiyama clan, Taga clan, Fukushima Takaharu)。
概要
概要
宇陀松山城は奈良県宇陀市大宇陀区に位置する山城で、標高473メートルの山頂に築かれた。国指定史跡(史跡宇陀松山城跡)に指定され、続日本100名城(No.166)にも選ばれている。城下町は重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、城郭と城下町が一体として文化財として残る希少な事例である。
歴史
宇陀三将(秋山氏・芳野氏・沢氏)の一つである秋山氏の居城として築かれたのが始まりで、築城時期は不明だが南北朝時代には構えられていたと考えられる。天正13年(1585年)に豊臣秀長の大和郡山入部に伴って秋山氏が退去した後は、伊藤義之・加藤光泰・羽田正親・多賀秀種らの居城となり、近世城郭へと改修された。豊臣政権下では大和郡山城・高取城と並ぶ大和国支配の要として位置づけられた。関ヶ原の戦い(1600年)後、福島正則の弟・福島高晴が宇陀松山3万石に封じられ入城した。高晴はさらに大規模な改修を行ったが、1615年(元和元年)の大坂夏の陣において豊臣方に内通したとして改易され、小堀遠州らによって城は破却・廃城となった。
城の構造と特徴
山頂部に天守台・主郭・二の丸等の曲輪が展開し、石垣遺構が良好な状態で残存している。福島高晴による改修で導入された総石垣の構造は、近世城郭への移行期の技術を示す。遺構からは天守閣の存在も確認されており、大和国山中における有力な城塞として機能した。
城下町との関係
城下に形成された宇陀松山の町並みは現在も江戸時代の雰囲気を保ち、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。城郭遺跡と城下町が一体として保存・整備されており、歴史的景観の完成度が高い。
刀剣との関わり
城主・福島高晴は関ヶ原の戦いで兄の福島正則とともに東軍に属し、西軍の氏家行広が守る桑名城を攻めた。
アクセスと現状
近鉄大阪線・榛原駅から奈良交通バスで大宇陀下車、徒歩約20分で登山口。現在、城址は宇陀市教育委員会が整備・管理している。見学は無料。
刀剣との関わり
城主・福島高晴は関ヶ原の戦いで東軍に属した武将。
見どころ
- 標高473mの山頂に立つ石垣山城
- 城下町は重要伝統的建造物群保存地区
- 国指定史跡・続日本100名城(No.166)
- 天守台と石垣遺構が良好に残存
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。