※画像はイメージです。太田城
Ota Castle (Kishu)
太田城は延徳年間(一説に文明年間)築城、天正13年(1585年)落城・廃城に築かれた関西の名城。城主は太田左近(宗正)(Ōta Sakon (Munemasa))。
概要
太田城は和歌山県和歌山市太田に位置した中世の平城である。紀伊国造第64代・紀俊連が延徳年間(一説に文明年間)に築いたとされ、以後、在地土豪である太田氏(太田衆)の拠点として機能した。太田家は一向一揆の勢力範囲に位置しており、戦国時代を通じて複雑な政治的立場に置かれていた。天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来城・雑賀城攻撃と連続する一向一揆掃討作戦の一環として太田城も攻撃された。秀吉の軍勢は六万とも十万ともいわれる大兵力を投入し、城の周囲に総延長約六キロメートル・高さ三〜五メートルの堤を六日で築いて水攻めにかかった。城内には太田衆と根来衆の残存兵力三千〜五千が籠もり、約一ヶ月にわたって抵抗を続けた。最終的に城は降伏し、城主・太田左近をはじめ五十三名が自害して城兵の助命と引き換えとなった。落城の際に城は焼かれ、そのまま廃城になったとみられている。なお、豊臣秀長による和歌山城の築城は根来寺落城の直後に別地(虎伏山)で始まっており、太田城跡が転用されたわけではない。
刀剣との関わり
なし
見どころ
- 一向一揆の重要な拠点
- 豊臣秀吉の大規模包囲戦
- 6キロメートルの堤防築造
- 戦国時代の政治的葛藤
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。