北畠氏館(多気北畠氏城館)
Kitabatake Clan Residence (Tage Kitabatake Clan Castle and Residence)
北畠氏館(多気北畠氏城館)は南北朝時代〜戦国時代(14世紀半ばに多気へ拠点移転、天正4年〈1576年〉の三瀬の変で北畠氏の多気支配が終焉)に築かれた関西の名城。城主は北畠顕能(多気移転)、北畠満雅・教具・政郷・材親・晴具ら歴代当主、北畠具教(第8代当主)、北畠具房(Kitabatake Akiyoshi (who moved the clan seat to Tage), successive heads including Mitsumasa, Noritomo, Masasato, Kichika, and Harutomo, Kitabatake Tomonori (eighth head), and Kitabatake Tomofusa)。
概要
概要
北畠氏館は、南北朝期から戦国期にかけて伊勢国司として一志郡以南を支配した公家大名・北畠氏の本拠。平時の居館である北畠氏館跡と、詰城である霧山城跡が一体で国の史跡「多気北畠氏城館跡」に指定されている。多気は伊勢本街道に近く、周囲を山に囲まれて七つの峠が出入りを扼する天然の要害であった。
多気移転と北畠氏の支配
北畠親房が延元元年(1336年)に伊勢へ入って以降、北畠氏は南朝方の中核として伊勢経営にあたった。康永元年(1342年)に田丸城が落ちると拠点を山間の多気へ移し、以後およそ240年、8代にわたってこの地から伊勢国司として君臨した。支配は一志郡以南の諸地域に及び、隣国の伊賀国や大和国南部にも影響力を持った。京都や大和からの文化流入が著しく、山間の多気は小京都と呼ぶべき文化拠点となった。
館と庭園
居館は谷あいの平地に営まれ、現在は北畠神社の境内一帯にあたる。境内に残る北畠氏館跡庭園は約850坪の武家書院庭園で、枯山水と池庭で構成される。室町幕府管領を務めた細川高国の作とされ、一乗谷朝倉氏庭園・旧秀隣寺庭園とともに日本三大武将庭園に数えられる。枯山水の中心石は高さ約2メートルに達し、戦国武将の庭らしい力強い石組みを見せる。
霧山城
館の背後にそびえる山上には詰城の霧山城が築かれた。山頂には長方形の平地と土塁が残り、南方には望楼跡と目される「鐘撞堂」と呼ばれる平地がある。麓近くには城門跡とみられる「大宮戸」の地名が伝わる。国指定文化財等データベースは、この城を「霧山ノ嶮峻ヲ利用シ築キタルモノニシテ一ニ多氣城トモセラレ北畠顕能及其ノ子孫ノ居城ナリ」と記す。
剣豪大名・北畠具教と刀
第8代当主・北畠具教は、剣聖・塚原卜伝に学び秘伝「一の太刀」を伝授されたと伝わる剣豪大名である。永禄12年(1569年)に織田信長へ屈して織田信雄を養嗣子に迎え、隠居した。天正4年(1576年)11月25日、信長・信雄の命を受けた刺客に三瀬御所で襲われ、子らや家臣とともに殺害される(三瀬の変)。太刀を取って奮戦したが、内通した家臣に刀へ細工をされていたため討ち取られたという伝承が残る。この事件で多気の北畠氏支配は終わった。
現状・アクセス
館跡は北畠神社として整備され、庭園が公開されている。続日本100名城のスタンプは北畠神社社務所(8時30分〜17時)に設置。JR名松線「伊勢奥津」駅からコミュニティバス約10分、伊勢自動車道「久居」インターから車で約60分。
刀剣との関わり
第8代当主・北畠具教は、剣聖・塚原卜伝に学び秘伝「一の太刀」を伝授されたと伝わる剣豪大名。天正4年(1576年)の三瀬の変では自ら太刀を振るって奮戦したが、内通した家臣に刀へ細工をされていたため討たれたという伝承が残る。伊勢国司北畠氏の本拠であるこの館は、その具教が育った地である。
見どころ
- 伊勢国司・北畠氏が約240年・8代にわたって伊勢を治めた本拠
- 居館の北畠氏館跡と詰城の霧山城跡が一体で国史跡「多気北畠氏城館跡」に指定
- 細川高国作と伝わる北畠氏館跡庭園は日本三大武将庭園のひとつ(国の名勝)
- 塚原卜伝に「一の太刀」を伝授されたと伝わる剣豪大名・北畠具教ゆかりの地
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。