※画像はイメージです。有岡城(伊丹城)
Arioka Castle (Itami Castle)
有岡城(伊丹城)は南北朝時代創築、天正2年〈1574年〉荒木村重が改修・改称、天正7年〈1579年〉落城に築かれた関西の名城。城主は伊丹氏(のち荒木村重)(Itami clan (later Araki Murashige))。
概要
概要
有岡城は兵庫県伊丹市に所在した中世から戦国期の城郭で、もとは摂津の国人・伊丹氏が南北朝時代から戦国時代にかけて営んだ伊丹城を前身とする。天正2年(1574年)11月、織田信長の武将・荒木村重が伊丹氏に代わって入城し、城名を有岡城と改めて大規模な改修を行った。
惣構えの城
村重による改修では、城郭のみならず武家地・町屋地区までを堀と土塁で囲い込む「惣構え」の縄張りが採用された。城と城下町全体を一体の防御施設とするこの構造は、当時の畿内でも先進的なものであったとされる。
荒木村重の謀反と落城
天正6年(1578年)、村重は突如として信長に反旗を翻し、有岡城に籠城した。織田方の軍師・黒田官兵衛(孝高)が翻意を説くために城へ赴いたが捕らえられ、落城までの約1年間、城内に幽閉されたと伝わる。翌天正7年(1579年)10月、織田軍の総攻撃を受けて有岡城は落城し、村重は単身逃亡、残された一族・家臣の多くは尼崎で処刑された。
現状
惣構えの城郭としての価値が認められ、昭和54年(1979年)12月に国の史跡に指定され、昭和63年(1988年)5月に追加指定された。現在はJR伊丹駅前に石垣・土塁の一部や井戸跡が保存整備され、公園として公開されている。
刀剣との関わり
有岡城で幽閉された黒田官兵衛(孝高)と刀剣の関わりを示す逸話として、のちに官兵衛が織田信長から名刀「圧切長谷部」(国宝、南北朝期の刀工・長谷部国重作)を授かったという伝承が知られる。荒木村重の謀反に際し、信長は人質としていた官兵衛の子・松寿丸(のちの黒田長政)の殺害を命じたが、竹中半兵衛の機転で難を逃れたという逸話も併せて伝わる。有岡城での約1年に及ぶ幽閉を耐え抜いた官兵衛への信頼の証として、この名刀が黒田家に伝えられたと語り継がれている。「圧切長谷部」は現在、福岡市博物館に所蔵され国宝に指定されている。
見どころ
- 惣構え — 城郭と城下町を一体で囲む戦国期の高度な縄張り
- 黒田官兵衛幽閉の地 — 荒木村重の謀反に伴う伝承の舞台
- JR伊丹駅前保存区画 — 石垣・土塁・井戸跡が公園として整備
- 国指定史跡 — 惣構えとしての価値を評価され1979年指定
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。