※画像はイメージです。上月城
Kozuki Castle
上月城は延元元年(1336年)築城、天正6年(1578年)落城・廃城に築かれた関西の名城。城主は上月景盛(築城者)、赤松政範、尼子勝久・山中鹿介(Kozuki Kagemori (founder); Akamatsu Masanori; Amago Katsuhisa and Yamanaka Shikanosuke)。
概要
概要
上月城は兵庫県佐用郡佐用町にある連郭式の山城で、天守はなかった。尼子再興軍の山中鹿介らが籠城した城として知られる。
築城
延元元年(1336年)、赤松氏の一族・上月景盛によって築かれた。
城主変遷
山名氏と赤松氏の間で争奪が繰り返され、1557年には赤松政元が置塩城から入った。その子の赤松政範は播磨西部を治め「西播磨の領主」と呼ばれた。天正5年(1577年)、羽柴秀吉の攻撃を受けて赤松政範は落城し、黒田官兵衛の活躍があったとされる。
歴史的事件
秀吉は上月城に尼子勝久・山中鹿介主従を入れて守らせたが、天正6年(1578年)4月、毛利方の小早川・吉川らの軍に包囲された。2か月以上の籠城の末に尼子勝久は自刃し、山中鹿介は捕らえられ、毛利陣へ連行される途中で殺された。城はその後廃城となった。
現状
土塁・石垣・空堀が残り、赤松氏と尼子氏の供養塔が建つ。
刀剣との関わり
特定の刀剣との結びつきを示す典拠は確認できていない。尼子再興軍と毛利軍が激突した戦国の攻防の舞台である。
見どころ
- 延元元年(1336年)、赤松一族の上月景盛が築城
- 天正5年(1577年)、羽柴秀吉軍により落城
- 天正6年(1578年)、尼子勝久・山中鹿介らの籠城と落城
- 土塁・石垣・空堀と赤松氏・尼子氏の供養塔が残る
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。