※画像はイメージです。高崎城
Takasaki Castle
高崎城は安土桃山時代〜江戸時代(慶長3年〈1598年〉築城)に築かれた関東の名城。城主は井伊直政(築城)、諏訪氏・酒井氏・戸田氏・松平氏・安藤氏ほか、最後は大河内輝声(Ii Naomasa (founder); later the Suwa, Sakai, Toda, Matsudaira, Andō and other clans; last lord Ōkōchi Teruna)。
概要
高崎城(たかさきじょう)は、群馬県高崎市にあった平城です。烏川の沿岸に位置し、もとは和田城と呼ばれる城のあった場所に、徳川家康の命を受けた井伊直政が築きました。現在も乾櫓と東門が残り、堀や土塁が市街地の姿を形づくっています。
和田城から高崎城へ
この地には平安時代末期に遡るとされる城があり、のちに和田氏が上杉・武田・北条と従う相手を変えながら守りました。天正18年(1590年)の小田原征伐では、前田利家や上杉景勝らの軍勢の前に落城しました。
井伊直政の築城
慶長3年(1598年)、箕輪城主の井伊直政が家康の命で新たな城を築き、箕輪城から移りました。築城の着手を前年の慶長2年(1597年)とする説もあります。中山道と三国街道が分かれる要衝を押さえる位置にあたります。直政はこの地を「高崎」と名づけました。
城主の変遷
その後は諏訪氏、酒井氏、戸田氏、松平氏、安藤氏など多くの大名が入れ替わりました。元和5年(1619年)に入城した安藤重信が大規模な改修を始め、安藤氏は3代77年にわたって藩主を務めました。城の完成は安藤氏3代によるといわれます。寛永10年(1633年)には徳川忠長がこの城で自刃しました。最後の城主は大河内輝声です。
構造
本丸には御三階櫓があり、四隅に櫓が置かれました。周囲に曲輪と土塁をめぐらせ、石垣はわずかでした。御三階櫓は現存しません。
明治以降と現存遺構
明治6年(1873年)の廃城令で存城となり、建物の多くは移築または取り壊されました。城跡の多くには歩兵第15連隊が置かれました。現存する遺構のうち乾櫓は昭和52年(1977年)に移築復原され、東門は昭和55年(1980年)に移築復原されました。乾櫓は群馬県指定重要文化財、三の丸土塁・堀は高崎市指定史跡、東門は高崎市指定重要文化財です。
現在
城跡は市街地にあり、21階建ての市庁舎や公共施設が建っています。堀の一帯は高崎城址公園(約4.9ヘクタール)で、桜やツツジの名所です。
見どころ
- 乾櫓(県指定重要文化財)と東門が現存
- 土塁と堀が残り城下の街並みの骨格となっている
- 堀の周囲は高崎城址公園として桜やツツジの名所
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。