※画像はイメージです。玉縄城
Tamanawa Castle
玉縄城は永正9年(1512年)築城、江戸時代初期に廃城に築かれた関東の名城。城主は北条早雲(伊勢盛時)(Hojo Soun (Ise Moritoki))。
概要
築城の背景
玉縄城は神奈川県鎌倉市に位置し、永正9年(1512年)に伊勢盛時(北条早雲)によって築かれた。早雲は小田原城を本拠として相模国への進出を進める過程で、三浦半島を本拠とする相模三浦氏と抗争を繰り広げており、三浦半島の付け根にあたるこの地に玉縄城を築いて三浦氏攻略の前線拠点とした。
立地と戦略的意義
玉縄城は鎌倉および相模湾を望む丘陵地に位置し、鎌倉から三浦半島へ抜ける交通の要衝を押さえる立地にあった。後北条氏にとっては三浦氏だけでなく、房総半島の里見氏に対する防衛拠点としても重視された。
城主変遷 — 玉縄北条氏
築城後、城主には早雲の次男・北条氏時をはじめ、代々小田原北条氏の近親者が任じられ、彼らは「玉縄北条氏」と呼ばれた。以後、北条綱成、北条氏繁、北条氏勝と城主が続き、玉縄城は小田原本城を支える東相模の重要拠点として機能し続けた。
構造・防御
玉縄城は丘陵地形を巧みに利用した堅固な城郭であり、越後の上杉謙信をして「この城当国無双の名城なり」と言わしめたと伝えられる。築城以来約80年間にわたり、一度も落城することがなかった。
関連戦役 — 小田原征伐と無血開城
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐に際し、当時の城主・北条氏勝は徳川家康の説得を受け入れ、玉縄城を無血開城した。これにより北条氏の滅亡後も城下に大きな被害を出すことなく戦役が収束した。
現状
江戸時代に入ると徳川家の支配下に置かれ、その後廃城となった。現在、城跡の大部分は宅地や学校用地として開発されており、一部に空堀や土塁の痕跡が残る。
刀剣との関わり
なし
見どころ
- 北条早雲による築城
- 玉縄北条氏の本拠
- 約80年間不落の堅城
- 小田原征伐時の無血開城
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。