※画像はイメージです。名胡桃城
Nagurumi Castle
名胡桃城は天正7年(1579年)築城、天正18年(1590年)廃城に築かれた関東の名城。城主は真田昌幸(Sanada Masayuki)。
概要
築城の背景
名胡桃城は群馬県利根郡みなかみ町、利根川支流の断崖上に位置する山城である。室町時代、沼田氏の一族とされる名胡桃氏がこの地に館を構えたのが起源とされる。天正7年(1579年)、甲斐の武田勝頼は家臣・真田昌幸に命じ、敵対する後北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として、名胡桃館に隣接する地に新たに城を築かせた。
沼田経略の拠点として
真田昌幸は小川城主・小川可遊斎とともにまず名胡桃館を攻略し、これを足掛かりとして隣接地に名胡桃城を築城した。ここを拠点に沼田城への調略を進め、最終的に沼田城の奪取に成功する。実際に城として機能した期間は約10年間と短いが、真田氏による沼田領支配の最前線として重要な役割を果たした。
構造・防御
名胡桃城は馬出しから三郭・二郭・本郭・ささ郭が一直線に連なる連郭式の山城である。両側は切り立った崖に囲まれた天然の要害となっており、少数の兵でも防御しやすい地形が選ばれている。
関連戦役 — 名胡桃城事件と小田原征伐
天正17年(1589年)11月3日、沼田城代であった北条家臣・猪俣邦憲が真田氏の名胡桃城を占領する事件が発生した。この「名胡桃城事件」は、豊臣秀吉が裁定した沼田領の帰属を一方的に破るものと見なされ、秀吉による後北条氏討伐(小田原征伐)の直接の口実となった。天正18年(1590年)3月に秀吉は大軍を出立させ、同年7月に後北条氏は滅亡し、戦国時代は事実上終焉を迎えた。
現状
戦後、沼田領は真田氏に安堵され、名胡桃城はその役目を終えて廃城となった。現在は群馬県指定史跡として整備されており、連郭式の縄張り、馬出し、堀切などの遺構が良好な状態で残存する。続日本100名城の一つにも選定されている。
刀剣との関わり
なし
見どころ
- 名胡桃城事件の舞台
- 小田原征伐の直接の契機
- 連郭式山城の遺構
- 続日本100名城選定
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。