※画像はイメージです。臼井城
Usui Castle
臼井城は12世紀中頃築城と伝わる、慶長9年(1604年)廃城に築かれた関東の名城。城主は臼井氏、原氏(原胤貞ほか)、酒井家次(The Usui clan; the Hara clan (including Hara Tanesada); Sakai Ietsugu)。
概要
概要
臼井城は、千葉県佐倉市臼井田にあった連郭式平山城で、印旛沼を望む台地上に築かれた。中世を通じて下総国北部の要衝として機能し、太田道灌や上杉謙信といった名だたる武将の攻撃を受けたことで知られる。現在は佐倉市指定史跡として保護され、臼井城址公園として整備されている。
築城と臼井氏
築城は12世紀中頃、臼井常康によるものと伝わるが、史実として確定するには慎重な見解もある。以後、千葉氏の一族とされる臼井氏が城主として15世紀後半までこの地を治めた。
太田道灌の攻撃(文明11年・1479年)
文明11年(1479年)、扇谷上杉氏の家宰・太田道灌の軍勢が臼井城を攻撃し、7ヶ月に及ぶ籠城戦の末に落城した。この戦いで道灌の甥にあたる太田資忠(図書助)ら50余名が討ち死にし、資忠の墓とされる塚が城の土塁上に現存している。
原氏の支配と上杉謙信の攻撃(永禄9年・1566年)
天文26年(1557年)、原胤貞が臼井城に入り以後は原氏の支配下となった。永禄9年(1566年)には上杉謙信・里見義弘の軍勢に攻められ落城寸前まで追い込まれたが、軍師・白井浄三ら北条方の知略により謙信軍を撃退し、この戦いは「臼井城の戦い」として知られる。
構造と廃城
城郭は連郭式平山城で、土塁・空堀・土橋・石垣・郭などの遺構が現存し、天守は築かれなかった。天正18年(1590年)の小田原征伐後、酒井家次が3万石で入封したが、慶長9年(1604年)に家次が上野国高崎藩へ移封されたのに伴い廃城となった。
現状・アクセス
現在は臼井城址公園として整備され、深い空堀や土塁のほか、本郭と二の郭の間の空堀・土橋、良好な状態で残る虎口を見ることができる。本丸跡からは印旛沼を一望できる。京成本線「京成臼井駅」から徒歩約15分。
刀剣との関わり
見どころ
- 印旛沼を望む台地に築かれた連郭式平山城
- 文明11年(1479年)太田道灌の攻撃を受け7ヶ月の籠城戦の末に落城、太田資忠の墓が現存
- 永禄9年(1566年)上杉謙信・里見義弘の攻撃を撃退した「臼井城の戦い」の舞台
- 土塁・空堀・土橋・虎口などの遺構が良好に残る佐倉市指定史跡
- 慶長9年(1604年)酒井家次の移封により廃城
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。