※画像はイメージです。館林城
Tatebayashi Castle
館林城は戦国時代創築、天正18年〈1590年〉榊原康政入封、明治時代廃城に築かれた関東の名城。城主は榊原康政(のち徳川綱吉、秋元氏など)(Sakakibara Yasumasa (later Tokugawa Tsunayoshi, the Akimoto clan, and others))。
概要
概要
館林城は群馬県館林市城町一帯に築かれた平城で、城沼を天然の堀として利用した要害の地に立地した。築城時期には諸説あるが、戦国期には赤井氏・長尾氏など上野国の国衆が拠った記録が残る。
榊原康政の入封と近世城郭化
天正18年(1590年)の徳川家康関東入封に伴い、徳川四天王の一人・榊原康政が10万石で館林城主となった。康政は城下町を整備するとともに石垣・天守を備えた近世城郭へと改修を進め、慶長11年(1606年)に館林で没するまでこの地を治めた。
徳川綱吉と歴代藩主
江戸時代を通じて館林藩は幕府にとって重要な位置を占め、寛文元年(1661年)には徳川家光の四男・徳川綱吉が館林藩主となり、後に第5代将軍に就任した。綱吉が将軍となって以降、館林藩主は幕府の要職を担う大名家が務め、最後は秋元氏が明治維新まで居城とした。
現状
明治時代に廃城となり城の建物の多くは失われたが、三ノ丸の土橋門は復元され、土塁の一部も現存する。城跡の中心部には現在、館林市役所や文化会館、子ども科学館などが建てられており、館林市指定史跡として保存が進められている。
刀剣との関わり
館林城主・榊原康政(式部大輔)にちなむ名刀に「式部正宗」(式部榊原正宗)がある。駿河府中城主の中村家から康政を経て徳川家康に献上されたと伝わる一振りは『享保名物帳』に載り、のちに前橋藩主の松平大和守家に伝わったが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。同じ名で呼ばれる正宗は島津家にも伝来したが、こちらも第二次世界大戦で拵とともに焼失している。
見どころ
- 土橋門 — 三ノ丸に復元された門
- 土塁 — 城の縄張りを伝える現存遺構
- 徳川綱吉ゆかりの城 — 将軍就任前に藩主を務めた
- 館林市役所一帯 — 本丸・二の丸跡地に市の施設が立地
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。