菅谷館(菅谷館跡)
Sugaya-yakata (Sugaya Manor Ruins)
菅谷館(菅谷館跡)は鎌倉時代創築、室町時代(1488年)再興、戦国時代末期まで使用に築かれた関東の名城。城主は畠山重忠(鎌倉時代)、太田資康(山内上杉氏、室町時代に再興)、小泉掃部助(後北条氏城代、戦国末期)(Hatakeyama Shigetada (Kamakura period); Ōta Sukeyasu, under the Yamanouchi-Uesugi clan (rebuilt in the Muromachi period); Koizumi Kamon-no-suke, castellan under the Later Hōjō (late Sengoku period))。
概要
築城
菅谷館は築城年代不詳ながら、鎌倉時代初期に鎌倉幕府の有力御家人・畠山重忠が鎌倉街道の要衝にあたる都幾川沿いの菅谷の地に構えた館が起源とされる。『吾妻鏡』文治3年(1187年)条には、謀反の嫌疑を受けた重忠が身の潔白を訴えるため「武蔵国菅谷館」に籠もったとの記載がある。
城主の変遷
重忠は源平合戦の宇治川の戦いや奥州合戦などで功を挙げ「鎌倉武士の鑑」と讃えられたが、元久2年(1205年)、北条氏の謀略により武蔵国二俣川で討死した。その後、館は足利義純の系統に伝わったとされるが、15世紀までの経緯は詳らかでない。長享2年(1488年)、山内上杉顕定の命により太田資康が菅谷館を再興し、山内上杉氏の拠点となった。天文15年(1546年)の河越夜戦以降は後北条氏が進出し、小泉掃部助が城代として戦国末期まで使用した。
構造
都幾川の断崖に面した平城で、総面積は約13万平方メートルに及ぶ。本郭を中心に二の郭・三の郭・西の郭が配され、東西の外堀には自然の深い谷を利用する。土塁の遺存状況が良好で、堀・虎口・土橋も現存し、関東地方における中世城館の代表例とされる。
現状
館跡には埼玉県立嵐山史跡の博物館が設けられ、畠山重忠関連資料や中世城館の解説が展示されている。松山城跡・杉山城跡・小倉城跡とともに「比企城館跡群」として国の史跡に指定され、2017年には続日本100名城(120番)に選定された。
刀剣との関わり
見どころ
- 鎌倉武士の鑑と讃えられた畠山重忠ゆかりの館跡
- 『吾妻鏡』にも記載される鎌倉時代からの歴史を持つ
- 土塁・堀・虎口など中世城館の遺構が良好に残る
- 比企城館跡群として国指定史跡、続日本100名城(120番)
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。