※画像はイメージです。館山城
Tateyama Castle
館山城は天正8年(1580年)築城、慶長19年(1614年)廃城に築かれた関東の名城。城主は里見義頼、里見義康、里見忠義(Satomi Yoshiyori, Satomi Yoshiyasu, Satomi Tadayoshi)。
概要
概要
館山城は、千葉県館山市館山にあった平山城で、房総半島南部を治めた戦国大名・里見氏の最後の居城である。標高65.7メートルほどの独立丘陵に築かれ、東・北面の急崖と人工の堀を防御に利用していた。館山市指定史跡「館山城跡」として保護されている。
築城と里見氏の移転
天正8年(1580年)、里見義頼によって築城されたと伝わる。その後、天正19年(1591年)6月から11月にかけて、里見義康が本拠であった岡本城からこの館山城へ移転し、以後は里見氏の本城として城下町の整備が進められた。この城下町の形成が、現在の館山市の市街地の基礎となっている。
構造
標高約65.7メートルの独立丘陵に築かれた平山城で、東西と北面は急崖が天然の防御となり、東から北にかけては人工の堀が設けられていた。城郭は連郭式の縄張りで、曲輪・堀切・空堀(水堀を含む)を備え、港湾を伴う城であった可能性が指摘されている。
廃城とその後
慶長19年(1614年)、里見氏10代当主・忠義は大久保長安事件への連座を理由に伯耆国(現・鳥取県)への移封を命じられ改易となり、館山藩は取り潰されて館山城も破却された。天明元年(1781年)に稲葉正明が館山藩主となった際も城の再建はなされず、城の麓に陣屋が設けられるにとどまった。第二次大戦中には城山に高射砲陣地が置かれ、山頂が約7メートル削られるなど遺構は著しく損なわれている。
現状・アクセス
昭和53〜55年(1978〜1980年)の発掘調査では御殿跡と鹿島堀跡が確認された。昭和57年(1982年)、山頂に模擬天守が建設されて館山市立博物館の分館(八犬伝博物館)となり、城跡一帯は城山公園として整備・開放されている。JR内房線「館山駅」から徒歩またはバスで約5分。
刀剣との関わり
見どころ
- 房総の戦国大名・里見氏最後の居城(天正19年〈1591年〉里見義康が移転)
- 標高65.7メートルの独立丘陵を利用した連郭式平山城
- 慶長19年(1614年)、里見忠義の改易により廃城・破却
- 昭和57年(1982年)建設の模擬天守は現在「八犬伝博物館」(館山市立博物館分館)
- 城跡一帯は城山公園として整備、館山市指定史跡
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。