※画像はイメージです。土浦城(亀城)
Tsuchiura Castle (Kame-jō)
土浦城(亀城)は永享年間(1429〜1441年)若泉三郎築城と伝わる、明治6年(1873年)廃城に築かれた関東の名城。城主は若泉三郎、菅谷氏(小田氏家臣、3代)、結城秀康、松平信一・信吉、西尾忠永・忠照、朽木稙綱・種昌、土屋氏(11代、寛文9年〈1669年〉以降)(Wakaizumi Saburō; the Sugaya clan (Oda clan retainers, three generations); Yūki Hideyasu; the Matsudaira (Nobukazu, Nobuyoshi); the Nishio (Tadanaga, Tadateru); the Kutsuki (Tanetsuna, Tanemasa); the Tsuchiya clan (eleven generations from 1669))。
概要
概要
土浦城は、茨城県土浦市中央に築かれた輪郭式の平城で、幾重にも巡らされた水堀に守られた姿が水に浮かぶ亀に似ることから「亀城」の別名で親しまれている。江戸時代には土浦藩の藩庁が置かれ、明治維新まで存続した。
築城と城主変遷
築城の時期には諸説あるが、室町時代の永享年間(1429〜1441年)、常陸守護・八田知家の後裔とされる豪族・若泉三郎によって築かれたと伝わる。戦国期には小田氏の家臣・菅谷氏が3代にわたって城主を務めた。江戸時代に入ると、結城秀康、松平信一・信吉、西尾忠永・忠照、朽木稙綱・種昌と城主が交代し、寛文9年(1669年)以降は土屋氏が11代・約200年間にわたり土浦藩主を務めた。明治6年(1873年)、廃城令により廃城となった。
構造
霞ケ浦とそこに通じる河川から水を引き入れた、幾重にも張りめぐらされた水堀によって守られた輪郭式の平城である。本丸に残る太鼓櫓門は、明暦2年(1656年)、5代城主・朽木稙綱によって瓦葺一層の櫓門に改築されたもので、二階に太鼓を備え時を告げたことからその名がついた。城郭建築として現存する櫓門としては関東地方で唯一のものとされる。ほかに霞門(土浦市指定文化財)も現存し、東櫓(1998年復元)・西櫓(1990年復元)が木造で復元されている。
文化財と続日本100名城
昭和27年(1952年)11月18日、「土浦城跡及び櫓門」として茨城県指定史跡第1号に指定された。平成29年(2017年)4月6日には、公益財団法人日本城郭協会選定の続日本100名城(113番)に選ばれている。
現状
本丸を中心とする一帯は亀城公園として整備され、市民の憩いの場となっている。東櫓は土浦市立博物館の附属展示館として活用されている。2011年の東日本大震災で一部が損傷したが、2012年6月までに修復された。樹齢500年とされる県指定天然記念物「亀城のシイ」も残る。
刀剣との関わり
見どころ
- 幾重もの水堀に囲まれた輪郭式平城で、亀に見立てて「亀城」と呼ばれる
- 永享年間、若泉三郎による築城と伝わり、江戸期は土屋氏が11代・約200年間統治
- 太鼓櫓門(明暦2年改築)は関東地方に現存する唯一の城郭櫓門建築
- 昭和27年(1952年)茨城県指定史跡第1号に指定
- 平成29年(2017年)続日本100名城(113番)に選定
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。