※画像はイメージです。平塚城
Hiratsuka Castle (Sagami)
平塚城は鎌倉時代に館が造営され、室町時代に大森氏が城塞化。永正9年(1512年)に廃城とされるに築かれた関東の名城。城主は三浦氏の一族/大森憲頼(大森氏)(A branch of the Miura clan; Omori Noriyori (Omori clan))。
概要
概要
平塚城は、神奈川県平塚市平塚にあった平城である。鎌倉時代に三浦氏の一族が平塚に館を造営したことに始まり、のちに大森氏が土塁と堀を築いて城塞化したと伝わる。なお、東京都北区にも同名の「平塚城」があるが、本項の城とは別の城である。
築城の背景と城主
鎌倉時代、三浦氏の一族がこの地一帯を治めた際に、平塚に館が造営された。その後、大森氏の一族である大森憲頼が三浦氏に代わって城主となり、館に土塁と堀を築いて城塞化したとされる。
構造
居館部と要害を合わせ持つ平城で、内堀と外堀を備えた主郭部があったとされる。現在の平塚農業高校の敷地内に主郭部があったが、現在は埋め戻されている。
戦役と廃城
文明年間の長尾景春の乱では、大森憲頼は景春方に付き、太田道灌率いる扇谷上杉方と戦った。文明10年(1478年)に太田道灌の攻撃を受けて落城したと伝わる。その後、三浦氏が一時的に返り咲いたが、北条早雲の相模侵攻の中で、永正9年(1512年)に廃城になったとされる。年代や経緯には史料上の不確かさがあり、断定は避けるべきである。
現況
遺構はほとんど残っておらず、城の東面にあたる八雲神社の境内に土塁が残るのみである。史跡指定はない。発掘調査では、三浦氏の時代とされる天目茶碗のほか、14〜15世紀の陶磁器や溝状の遺構が確認されている。
見どころ
- 八雲神社境内に残る東面の土塁
- 長尾景春の乱と太田道灌ゆかりの城
- 発掘で出土した三浦氏時代の天目茶碗
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。