※画像はイメージです。新井城
Arai Castle
新井城は戦国時代(永正13年〈1516年〉落城)に築かれた関東の名城。城主は三浦氏(三浦道寸〈義同〉)(Miura clan (Miura Dōsun, also known as Yoshiatsu))。
概要
新井城(あらいじょう)は、三浦半島の油壺湾に突き出た岬状の高台に立っていた平山城です。荒井城、小網代城、三崎城とも呼ばれました。戦国初期に、三浦道寸(義同)とその一族が小田原の伊勢盛時(北条早雲)に攻められ、籠城の末に滅んだ城として知られます。
築城と三浦氏
築城主は三浦氏とされますが、築城年は不明です。明応3年(1494年)、三浦義同(道寸)が三浦時高・高教の親子から城を奪ったと伝えられます。
北条早雲との戦い
永正9年(1512年)、三浦氏は伊勢盛時(北条早雲)に岡崎城を奪われ、住吉城を経て翌年に新井城へ退きました。籠城は約3年に及び、永正13年(1516年)に新井城は陥落しました。義同は子の義意とともに最期を遂げ、相模三浦氏は滅亡しました。三浦一族にとっては2度目の滅亡とされます。
構造と発掘
標高26mの岬状の高台に築かれた平山城で、土塁、曲輪、堀切が遺構として挙げられています。主郭と推定される範囲は、現在の東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所の敷地付近です。1992年の発掘調査では、掘立柱建物跡や空堀、16世紀の陶磁器類が見つかりました。土坑からは大量の人骨も出土し、戦死者を遺棄した遺構ではないかと報告されています。
油壺の名
油壺という地名は、三浦一族の血が海面に油のように浮かんだことに由来するという説があります。これは伝承であり、史実として確定したものではありません。
廃城と現在
廃城は天正18年(1590年)ごろとされますが、確定していません。豊臣秀吉の小田原征伐の後とする見方があります。現在、城跡の大部分は臨海実験所の敷地にあたります。キャンプパーク北側の胴網海岸へ下る道沿いに三浦義同の供養塔があり、自由に散策できます。
見どころ
- 相模三浦氏の最後の拠点
- 油壺湾に突き出た岬状の高台に立つ平山城
- 三浦義同の供養塔
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。