※画像はイメージです。長谷堂城
Hasedō Castle
長谷堂城は戦国時代(16世紀初期の築城)に築かれた東北の名城。城主は最上氏、志村氏、坂氏(Mogami clan, Shimura clan, Saka clan)。
概要
長谷堂城(はせどうじょう)は、山形県山形市長谷堂にあった中世の山城です。山の形から亀ヶ城とも呼ばれました。山形城の最上氏にとって、南の伊達氏に備える重要な支城でした。慶長5年(1600年)には、直江兼続の率いる上杉軍を迎え撃つ最前線となり、「長谷堂合戦」の名で知られています。
築城と初見
築城は最上氏によるもので、16世紀初期とされます。記録の上での初見は永正11年(1514年)で、伊達稙宗がこの城を攻め落としたと伝わります。この合戦の結果、最上氏は不利な条件で和議を結び、伊達氏の風下に立ったとされます。
構造
標高229mの山頂に築かれた、曲輪を連ねる連郭式の山城です。天守は建てられませんでした。曲輪・土塁・堀などの遺構が今も残っています。
慶長出羽合戦
1600年、関ヶ原の戦いとほぼ同じ時期に、西軍の上杉景勝の命を受けた直江兼続の軍が、東軍についた最上義光の領内へ攻め入りました。山形城を攻める足がかりとして長谷堂城が標的となり、城将の志村光安が約1000の兵で籠城して守りました。城のふもとのぬかるんだ水田も防御の助けとなり、上杉軍は前進に苦しんだといいます。やがて石田三成ら西軍が関ヶ原で敗れたとの報を受け、上杉軍は撤退を余儀なくされました。
戦後と廃城
戦後、城は坂光秀に与えられ、子の坂光重が継ぎました。元和8年(1622年)に最上義俊が改易された最上騒動の後、城は収公されて破却されました。
現在
山全体が「城山」と呼ばれる城址公園になっており、山頂からは山形市街や蔵王連峰を見渡せます。周辺には長谷堂観音、清源寺、滝山寺跡などがあります。
見どころ
- 慶長出羽合戦(長谷堂合戦)の舞台
- 標高229mの山頂に築かれた連郭式の山城
- 山頂から山形市街と蔵王連峰を望む城址公園
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。