※画像はイメージです。三戸城
Sannohe Castle
三戸城は天文8年(1539年)築城と伝わるに築かれた東北の名城。城主は南部晴政 / 南部氏(Nanbu Harumasa / Nanbu clan)。
概要
三戸城は、青森県三戸郡三戸町にあった山城で、留ヶ崎城とも呼ばれる。天文8年(1539年)、家臣の放火により本拠の聖寿寺館を焼失した南部晴政が、この地に新たな居城を築いたと伝えられる。天正19年(1591年)の九戸政実の乱の後に南部信直が九戸城(福岡城)へ居城を移すまで、三戸城は南部氏の本城として機能した。城跡は2022年3月15日に国の史跡に指定されている。
立地・構造
馬淵川と熊原川の浸食によって形成された河岸段丘上に位置し、両河川が天然の水堀の役割を果たす要害の地であった。城域は東北から西南に約1.5キロメートル、北西から南東に約400メートルに及び、周辺の低地との比高差は約90メートルに達する。
城主変遷
天文8年(1539年)の築城以降、三戸城は戦国期を通じて南部氏歴代当主の本城であった。急拡大した家臣団を統制するための拠点としても機能し、南部氏の勢力拡大を支えたが、九戸政実の乱の後に南部信直が九戸城(福岡城)へ居城を移し、寛永10年(1633年)に盛岡城が正式な居城と定められたことにより、その役割を終えた。
現状と保全
城跡は2022年3月15日に国の史跡「三戸城跡」として指定され、「史跡三戸城跡 城山公園」として整備・公開されている。石垣、堀跡、土塁、枡形虎口など、往時の遺構を現在も確認することができる。
見どころ
- 国史跡・三戸城跡 — 2022年3月15日指定、南部氏歴代の本城
- 史跡三戸城跡 城山公園 — 遺構を保存・公開
- 馬淵川・熊原川の河岸段丘 — 天然の水堀を活かした要害
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。