※画像はイメージです。黒石城
Kuroishi Castle
黒石城は江戸時代前期〜明治(1656年〜1871年廃城)に築かれた東北の名城。城主は津軽信英(弘前藩支藩・黒石藩初代藩主)以降、津軽氏代々(Tsugaru Nobuhide (first daimyo of Kuroishi Domain, subsidiary of Hirosaki Domain) and successive Tsugaru clan lords)。
概要
黒石城は陸奥国津軽郡(現青森県黒石市)に築かれた平城で、弘前藩から分知された交代寄合旗本(5千石)の黒石津軽家として1656年(明暦2年)に成立した黒石(大名・黒石藩としての立藩は1809年)の藩庁として機能した。津軽地域は弘前藩主・津軽為信が戦国末期に南部氏から独立して以来、津軽氏の支配下に置かれてきたが、江戸時代に入ると津軽宗家の弘前藩から分知された支藩が各地に設けられた。黒石藩は弘前藩2代藩主・津軽信枚の次男(3代信義の弟)である信英が5千石を分与されて旗本黒石津軽家を興したもので、黒石城はその政治・行政の中核施設として機能した。城の構造は典型的な江戸時代の平城で、本丸を中心に二の丸・三の丸が配置された。天守は建造されなかったが、御殿・書院・長屋門など藩庁機能を担う施設が整備された。城下町は浅瀬石川沿いに形成され、弘前から南部地域へと通じる街道の中継地として商業・流通の要所となった。黒石藩の石高は1万石という小藩ながら、津軽氏一門という格式の高さから藩主は大名交代の列に加わり、参勤交代を行った。城下には糸こんにゃく・黒石こみせ(アーケード商店街)・黒石よされ(民謡)など独自の文化が根付き、現在も「こみせ通り」は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。明治4年(1871年)の廃藩置県により廃城となり、城内建築の多くは撤去されたが、土塁・堀の一部が残存する。現在は史跡公園として整備され、城跡の一角には津軽藩ゆかりの資料を展示する施設も設けられている。津軽地方は南部藩と並んで東北における刀剣文化の重要な担い手であった。弘前藩宗家の刀剣収集文化は支藩の黒石藩にも影響を与え、藩主・津軽信英以降の藩主たちは江戸の大名文化に倣って名刀の収集・鑑賞に熱心だった。津軽地方の鍛冶師は弘前・黒石双方の武士階級に刀剣を供給し、東北の刀剣文化圏の形成に寄与した。また黒石近郊では砂鉄を含む花崗岩地帯が広がっており、津軽藩内の製鉄・鍛冶の原料供給地としての役割も担っていた。
刀剣との関わり
黒石藩の津軽氏は弘前藩宗家と同様に刀剣文化を重んじ、藩主自らが名刀を収集・鑑定した記録が残る。津軽地方の鍛冶師は南部鉄器の影響を受けながらも独自の技術を育み、実戦的な打刀から儀礼用の太刀まで幅広い刀剣を製作した。黒石近郊の砂鉄産地は津軽鍛冶の原料供給を支え、弘前・黒石両城下の武士への刀剣供給体制を支えた。
見どころ
- 弘前藩支藩・黒石藩の藩庁
- 津軽地方の江戸時代文化遺産
- こみせ通り重要伝統的建造物群保存地区
- 黒石よされ・津軽民謡の本場
- 津軽鍛冶と砂鉄産地の歴史
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。