※画像はイメージです。檜山城
Hiyama Castle
檜山城は康正2年(1456年)〜元和6年(1620年)廃城に築かれた東北の名城。城主は安東政季・安東忠季父子(築城)/檜山安東氏歴代(後の秋田氏)(Andō Masasue and his son Andō Tadaki (builders); five successive generations of the Hiyama Andō clan, later renamed the Akita clan)。
概要
概要と立地
檜山城(ひやまじょう)は秋田県能代市檜山、標高147メートルの霧山に位置する中世山城で、檜山安東氏5代の居城であった。城跡は檜山城本体に加え、大館跡・茶臼館跡・国清寺跡を含む「檜山安東氏城館跡」として1980年3月21日に国指定史跡となった。
築城と檜山安東氏
康正2年(1456年)、安東政季が築城を開始し、その子・忠季が明応4年(1495年)頃に修築を完了したと伝わる。以後、忠季から歴代へと5代にわたり檜山安東氏の本拠となり、北東北における海運・交易を掌握する戦国大名として勢力を広げた。
湊安東氏との統合と秋田氏への改称
16世紀後半、当主・愛季の代に同族の湊安東氏を統合し、安東氏は出羽北部一帯を支配する大名へと成長した。天正17年(1589年)には家中の内紛に端を発する大規模な籠城戦(湊合戦)が発生している。関ヶ原の戦い後の慶長7年(1602年)、安東氏は秋田氏へと改称し、後に常陸国へ転封となった。
構造の特徴
城域は東西約1,500メートル・南北約900メートルに及ぶ大規模な山城で、多数の曲輪が段築によって配置され、堀切によって尾根筋を分断する縄張りが特徴である。中世北東北における山城建築技術の到達点を示す遺構として評価されている。
刀剣・武具との関わり
檜山安東氏は蝦夷地・大陸との交易で得た富を背景に、家臣団への恩賞や社寺への奉納に刀剣を用いたと伝わる。国清寺は安東氏の菩提寺として累代の武具・宝物を伝えたとされ、城館一帯は北東北における中世武具文化の集積地であったと考えられている。
現状と見どころ
元和6年(1620年)、一国一城令により廃城となったが、堀切や段築の遺構は現在も良好に残存する。能代市では檜山城跡を含む史跡公園として整備を進めており、周辺の大館跡・茶臼館跡とあわせて中世安東氏の拠点構造を実地でたどることができる。
刀剣との関わり
蝦夷地・大陸交易で富を得た檜山安東氏が家臣団への恩賞・社寺奉納に刀剣を用いたと伝わる。菩提寺・国清寺は累代の武具・宝物を伝えたとされ、城館一帯は北東北の中世武具文化の集積地とみられる。
見どころ
- 国指定史跡「檜山安東氏城館跡」(1980年)
- 檜山安東氏5代(忠季〜実季)の本拠、後の秋田氏
- 東西1,500m・南北900mの大規模山城、段築曲輪と堀切
- 湊安東氏統合と1589年湊合戦の舞台
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。