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各時代における刀剣の変遷と特徴を解説します
各時代を彩った名将と名刀の物語
日本刀史に輝く伝説の名刀たち
各時代を代表する名工たちの業績
古墳時代の直刀から平安の湾刀、鎌倉の古備前、南北朝の大太刀、室町〜戦国の備前長船、江戸の新刀・新々刀、そして現代刀まで。242の時代区分で日本刀の変遷を年表形式で辿れます。各時代の代表的な刀工・作風・時代背景を解説。
Chōroku Era
長禄(1457-1461)は室町時代中期、康正の次・寛正の前の元号。長禄元年(1457)には赤松遺臣による三種の神器奪還事件「長禄の変」が起き、長禄3年(1459)からは「長禄・寛正の飢饉」が始まった。備前長船派の則光(後世「寛正則光」と通称された二代目)が長禄3年紀の打刀を残し、同作は現在重要文化財に指定されている。
Toyotomi Hideyoshi's Katanagari and the Institutionalization of the Swordsmith
天正16年(1588年)、豊臣秀吉は刀狩令を発し、百姓・寺社からの武器没収を進めた。これは太閤検地とともに兵農分離を徹底し、武士・町人・百姓を固定する身分制度(士農工商)の基礎を築いた政策である。刀狩は農民の帯刀権を奪う一方、刀工を「工」として社会的に位置づけ、作刀を専業職人の営みへと制度化していく転機となった。
Genji Era
元治(げんじ)は1864年から1865年まで続いた、江戸時代最末期の元号である。文久4年2月20日に改元され、翌元治2年4月には慶応へと改元された、わずか1年余りの期間であった。元治元年6月5日(1864年7月8日)、京都三条木屋町の旅籠・池田屋において新選組が尊皇攘夷派志士約20名を襲撃した「池田屋事件」が発生し、実戦における刀剣の技量が生死を分けた事件として、新選組隊士個々の剣技が同時代人の記録に残された。
Heiji Era
Nobukuni School
山城国で興った刀工流派。来派・相州伝双方の作風を受け継ぎ、精緻な彫物を得意とした。応永期の「応永信国」が最盛期を成す。
Mukansa Swordsmith System
無鑑査刀匠制度は、公益財団法人日本美術刀剣保存協会(日刀保)が主催する新作名刀展において、一定の実績を重ねた刀匠に対し、以後の出品作を審査なしで受理する資格を与える制度である。新作名刀展は1955年(昭和30年)に始まり、無鑑査の資格授与は1958年(昭和33年)から行われている。選任には、入賞15回のうち特賞8回以上と高松宮記念賞2回以上の獲得、あるいは特賞通算10回以上の獲得に加え、人格と技量の高さが求められる、現代刀工にとって最高位の栄誉である。
Imperial Household Artist System and Swordsmiths
帝室技芸員制度は、1890年(明治23年)に宮内省が美術・工芸の保護奨励を目的として設けた顕彰制度である。同年10月、最初の帝室技芸員10名が任命された。刀工の分野では、1906年(明治39年)4月4日に月山貞一と宮本包則の2名がはじめて任命され、この制度の存続期間を通じて刀工として選ばれたのはこの2名のみであった。制度は1947年(昭和22年)に廃止された。
Hoei Era
宝永(ほうえい)は元禄と正徳の間にあたる元号(1704〜1711年)で、東山天皇・中御門天皇の治世、将軍徳川綱吉・家宣の頃にあたる。粟田口一竿子忠綱(初代忠綱の子)は、自ら刀身彫刻を手がけ「同作」と銘するのを特徴とした大坂新刀の代表工で、京都国立博物館所蔵の重要文化財の太刀には「宝永六年八月日」の年紀が刻まれている。
Samonji School
筑前(現・福岡県)を拠点に、相州伝の技法を九州へ伝えた刀工流派。祖・左安吉は正宗の弟子と伝えられる。
Uda School
大和国宇多郡から越中国へ移住した刀工一族が興した流派。独特の「宇多肌」を特徴とし、南北朝から室町にかけて越中で栄えた。
Living National Treasure Swordsmiths
重要無形文化財保持者(通称・人間国宝)は、1950年制定の文化財保護法が1954年に改正されたことで生まれた国の指定制度で、最初の指定は1955年2月15日に行われた。作刀の分野でこの指定を受けた刀匠は歴代を通じてごく少数にとどまる。長野県出身の宮入行平(宮入昭平)は早い時期にこの指定を受けた刀匠のひとりであり、天田昭次は1997年(平成9年)に指定を受け、伊勢神宮の式年遷宮における御神宝太刀の制作に4度(うち1度は補佐、3度は主任刀匠として)携わった。
Shizu School
美濃国志津(現・岐阜県海津市)を拠点に、大和伝と相州伝を融合させ美濃伝の礎を築いた刀工流派。祖・志津三郎兼氏は正宗の弟子と伝わる。