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各時代における刀剣の変遷と特徴を解説します
各時代を彩った名将と名刀の物語
日本刀史に輝く伝説の名刀たち
各時代を代表する名工たちの業績
古墳時代の直刀から平安の湾刀、鎌倉の古備前、南北朝の大太刀、室町〜戦国の備前長船、江戸の新刀・新々刀、そして現代刀まで。270の時代区分で日本刀の変遷を年表形式で辿れます。各時代の代表的な刀工・作風・時代背景を解説。
Bungo Takada School
豊後国高田(現・大分市)を拠点に南北朝期の友行を祖として興った刀工流派。相州・美濃・備前の技法を取り入れた実戦刀を量産し、戦国期に最盛期を迎えた。
NBTHK — Japan's Sword Appraisal and Grading System
1948年に本間順治・佐藤寒山らを中心に設立された公益財団法人。優れた日本刀を審査・認定する鑑定制度を運営し、現行の「保存刀剣」「特別保存刀剣」等の格付けは国内外の刀剣評価の基準となっている。
Export Permit System for Japanese Art Swords
日本刀を含む古美術品を海外へ輸出する際、国宝・重要文化財等に該当しないことの確認と文化庁の輸出審査を経なければならない現行制度。文化財の海外流出防止を目的とし、国際的な刀剣取引の前提となっている。
The Sword Registration System under Japan's Firearms and Swords Control Law
戦後の「昭和の刀狩り」を経て、美術的価値のある日本刀を都道府県教育委員会への登録により合法的に所持できると定めた制度。文化財保護法(1950年)と銃刀法(1958年)が基盤となり、現在も刀剣売買・所持の前提となっている。
Sengoku Period — Japanese Swords, 1467–1573
応仁の乱(1467年)を境に室町幕府の権威が失われ、各地の戦国大名が覇権を争った動乱期。軍事需要の急増により、備前・美濃を中心に大量生産される「数打ち物」と、大名等の特注による質の高い「注文打ち」とが並存したことで知られる。
Namban-tetsu — Imported Steel and Japanese Swordsmithing
南蛮貿易を通じてポルトガル・オランダなどから輸入された精錬鉄「南蛮鉄」。越前康継をはじめとする刀工がこれを用いて鍛刀し、茎に「以南蛮鉄」と刻んだことで知られる、日本刀の材料史・鍛刀技術史上の一時代である。
The Honnoji Incident and Its Swords
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀の急襲により織田信長が京都本能寺で自刃した事件。信長の愛刀であった「実休光忠」「薬研藤四郎」は本能寺の炎上とともに焼失したと伝えられ、桶狭間の戦いで信長が入手した「宗三左文字」は被災後に再刃を施されて後世に伝存したとされる。
Uesugi Clan and Yonezawa Domain Sword Culture
越後守護代から戦国大名となった上杉謙信・景勝父子、そして江戸期に米沢藩主として存続した上杉家に代々伝わった刀剣文化。謙信の愛刀である太刀(号 山鳥毛)・短刀(号 謙信景光)はともに国宝に指定され、景勝が選定した「御手選三十五腰」も名品として伝わる。
Manji Era
万治(まんじ)は明暦の後、寛文の前にあたる元号で、1658〜1661年にあたる。前年の明暦の大火などの災異を理由とする改元とされる。天皇は後西天皇、江戸幕府将軍は徳川家綱であった。江戸新刀の名工・長曽祢興里(虎徹)には「万治三年十二月日」の紀年銘を切り自ら浦島彫を施した脇差(浦島虎徹)が伝わり、同時期には肥前の陸奥守忠吉(肥前忠吉三代)が新刀最上作・最上大業物に位列されて活躍していた。
Koji Era
弘治(こうじ)は天文の後、永禄の前にあたる元号で、1555〜1558年にあたる。この間、天皇は後奈良天皇から正親町天皇へ、将軍は足利義輝であった。弘治元年(1555年)には武田信玄と長尾景虎(のちの上杉謙信)が信濃・犀川を挟んでおよそ200日対陣し(第二次川中島の戦い)、今川義元の仲介で和睦した。刀剣位列史料では、伊勢桑名の村正がこの弘治年間に末古刀中上作として位置づけられている。
Muramasa School
伊勢国桑名(現三重県桑名市)を拠点に室町時代後期から江戸時代初期にかけて数代にわたり活動した刀工一派。徳川家に関わる複数の凶事に用いられたとする伝承から「妖刀村正」として知られるが、実際には数打ち物として大量に生産された刀工であったとする見方も有力である。
Date Clan Sword Culture — The Sendai Kunikane Lineage
仙台藩主・伊達政宗の命により初代国包が京都で越中守正俊に入門、大和保昌の末流を称して確立した「仙台国包」一門。鎬の高い姿と揃った柾目肌、沸出来の直刃を特徴とし、明治期の十三代まで続いた東北地方随一の刀工家系である。