※画像はイメージです。長禄(ちょうろく)
Chōroku Era
長禄(1457-1461)は室町時代中期、康正の次・寛正の前の元号。長禄元年(1457)には赤松遺臣による三種の神器奪還事件「長禄の変」が起き、長禄3年(1459)からは「長禄・寛正の飢饉」が始まった。備前長船派の則光(後世「寛正則光」と通称された二代目)が長禄3年紀の打刀を残し、同作は現在重要文化財に指定されている。
解説
長禄(1457-1461)は室町時代中期、康正3年9月28日(1457年10月16日)に改元され、長禄4年12月21日(1461年2月1日)に寛正へ改元されるまで用いられた元号である。天皇は後花園天皇、将軍は足利義政。元号は『韓非子』の「其建生也長、持禄也久」に由来する。長禄元年12月2日(1457年12月18日)には、嘉吉の乱後に没落していた赤松氏の遺臣たちが、禁闕の変で南朝方に奪われていた三種の神器のうち神璽を奪還する「長禄の変」が起きた。さらに長禄3年(1459年)からは全国的な凶作による深刻な飢饉「長禄・寛正の飢饉」が始まり、寛正年間にかけて多くの餓死者を出すことになる。刀剣史上、この長禄年間を代表するのが、備前国長船派の刀工・則光(二代目、寛正年間の作が著名なため後世「寛正則光」と通称される)である。同工の在銘作「刀 銘備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光/於作州鷹取庄黒坂造/鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐打ス/長禄三年己卯十二月十三日」(1459年)は、美作国鷹取庄黒坂において鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐の注文で製作された打刀で、刃長68.2センチメートル、反り2.0センチメートル。昭和13年(1938年)に旧・重要美術品として認定された後、昭和33年(1958年)2月8日に重要文化財へ指定され、現在は福岡県久留米市の個人が所蔵する。長船則光は名工・長光の弟子である初代から数えて代を重ねた刀工群であり、本作はその中でも代表作の一つとされる。中央では政争と天災による飢饉が重なる不穏な時代でありながら、備前の刀剣生産は質・量ともに高い水準を保っていたことを、この重要文化財指定作が物語っている。
この時代の刀の特徴
- 室町時代中期、康正の次・寛正の前の元号(1457年10月-1461年2月)
- 長禄元年(1457)、赤松遺臣による神璽奪還「長禄の変」
- 長禄3年(1459)から「長禄・寛正の飢饉」が始まり寛正年間まで継続
- 備前長船派・則光(二代目)の在銘打刀「長禄三年己卯十二月十三日」(1459)が現存
- 同作は美作国鷹取庄黒坂で鷹取勘解由左衛門泰佐の注文により製作
- 1938年に重要美術品認定、1958年2月8日に重要文化財へ指定(福岡県久留米市・個人蔵)
- 同工は後世の年紀作から「寛正則光」と通称される