※画像はイメージです。立花山城
Tachibanayama Castle
立花山城は元徳2年(1330年)大友貞載築城と伝わる、慶長6年(1601年)黒田長政の福岡城築城により廃城に築かれた九州の名城。城主は大友貞載(立花氏祖)、戸次鑑連(立花道雪)、立花宗茂、小早川隆景(浦宗勝が城代)(Ōtomo Sadanori (founder of the Tachibana line); Betsuki Akitsura (Tachibana Dōsetsu); Tachibana Muneshige; Kobayakawa Takakage (with retainer Ura Munekatsu as castellan))。
概要
概要
立花山城は、福岡県福岡市東区・糟屋郡新宮町・久山町にまたがる立花山(標高367メートル)に築かれた中世の山城である。立花山全域を要塞化した東西約1キロメートルに及ぶ大規模な山城で、大友氏の北部九州支配における最重要拠点のひとつであった。
築城と城主変遷
元徳2年(1330年)、豊後国守護・大友貞宗の次男である大友貞載によって築かれたと伝わり、貞載はこの地に拠ったことから立花氏を称するようになった。戦国期には大友氏の重臣・戸次鑑連(べっき あきつら、のちの立花道雪)が城主となり、道雪の娘婿として家督を継いだ立花宗茂が、天正14年(1586年)に九州制覇を目指し北上した島津氏の大軍の攻撃をこの城で守り抜いた。豊臣秀吉の九州平定後、宗茂は柳川へ転封となり、代わって小早川隆景が入り、重臣・浦宗勝を城代とした。慶長6年(1601年)、黒田長政が福岡城を築いたことに伴い廃城となった。
構造
立花山山頂の井楼山(本城山)を主郭とし、白岳・松尾岳・イバノヲ・大タヲ・大つぶら・小つぶらなど山全体に展開する曲輪群からなる大規模な山城である。石垣は主郭部やイバノヲ・大タヲ、小つぶら付近に集中して残り、主郭部北東端の虎口周辺には石垣が多数残存する。南尾根や小つぶらには畝状竪堀群も確認されている。
刀剣・武具との関わり
城主・立花道雪の佩刀と伝わるのが名刀「雷切」(旧名「千鳥」)である。道雪が夏の日に落雷に遭った際、とっさに愛刀「千鳥」で雷を斬りつけて難を逃れたとの逸話から「雷切」と改名されたと伝わり、道雪はその後も鉄砲と雷切を携えて輿に乗り、最前線で指揮を執り続けたという。雷切と伝わる刀は現在、柳川市の立花家史料館に所蔵されている。
現状
廃城後、山頂部にはわずかに石垣や古井戸跡が残るのみで、城域の多くは深い照葉樹林に覆われている。この森林は「立花山クスノキ原始林」として国の天然記念物に指定されており、山頂は博多湾を一望できる眺望地としても知られる。
刀剣との関わり
城主・立花道雪の佩刀と伝わる名刀「雷切」(旧名「千鳥」)は、落雷を斬った逸話から改名されたと伝わり、柳川市の立花家史料館に所蔵される。道雪はこの刀と鉄砲を携え、輿に乗って最前線で指揮を執り続けたという。
見どころ
- 元徳2年(1330年)大友貞載により築かれ、立花氏の名の由来となった山城
- 天正14年(1586年)立花宗茂が島津氏の大軍の攻撃を守り抜いた古戦場
- 東西約1kmに及ぶ大規模な曲輪群、主郭部やイバノヲ・大タヲ付近に石垣が残存
- 城主・立花道雪の佩刀と伝わる名刀「雷切」(旧名「千鳥」)ゆかりの城
- 城域の照葉樹林は国天然記念物「立花山クスノキ原始林」に指定
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。