※画像はイメージです。杵築城(木付城)
Kitsuki Castle
杵築城(木付城)は応永元年(1394年)木付頼直が築城、江戸時代に松平氏が藩主となるに築かれた九州の名城。城主は木付氏 / 松平(能見)氏(Kitsuki clan / Matsudaira (Nomi) clan)。
概要
杵築城は大分県杵築市に位置する山城であり、守江湾に突き出た台地上に築かれた海城の性格を持つ。南北を谷に挟まれた台地の先端に本丸を置く縄張りは、自然地形を最大限に利用した巧みな設計として知られる。城下町は「サンドイッチ型城下町」とも称され、武家屋敷が並ぶ二つの高台の間に商人町が挟まれた独特の地形が全国でも珍しい景観をつくり出している。
応永元年(1394年)、木付頼直が築城したとされる。木付氏は大友氏の重臣として長く豊後国を支え、戦国時代には城の重要性がいっそう高まった。天正14年(1586年)の島津氏の豊後侵攻(豊薩合戦)においては、木付城も戦禍を受けたが持ちこたえ、大友氏の防衛拠点として機能した。
関ヶ原合戦後、徳川方に属した細川氏・小笠原氏を経て、正保2年(1645年)に松平(能見)氏が入封し、明治維新まで杵築藩の政庁として機能した。松平氏のもとで城下町の整備が進み、現在に至る武家屋敷群の景観が形成された。
現存する天守閣は昭和45年(1970年)に建設された模擬天守であるが、石垣・堀・武家屋敷群は江戸時代の面影をよく留めており、城下町全体が「国の重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。守江湾を望む城からの景観は大分屈指の絶景とされ、豊後の小京都とも称される。
刀剣との関わり
杵築城と日本刀の関わりは、大友宗麟という戦国九州最大の権力者の存在抜きに語れない。木付氏は大友氏の重臣として長く仕え、大友氏が豊後・豊前・筑前・肥前・肥後・筑後の六か国を支配した最盛期(16世紀中葉)においては、杵築城もその軍事・物流ネットワークの一端を担った。 大友宗麟はポルトガルとの南蛮貿易を積極的に推進し、鉄砲・火薬の輸入と引き換えに豊後の刀剣・漆器・鉱物資源を輸出した。豊後は古来から良質な鉄の産地として知られており、豊後刀(ぶんごとう)は室町時代から全国的に流通した実用刀の一大産地であった。杵築城を含む豊後の諸城を治める大友氏の武将たちは、豊後刀工が鍛えた実戦刀を帯刀し、九州統一をめぐる攻防を繰り広げた。 天正14年(1586年)の島津氏の豊後侵攻は、九州の刀剣文化に大きな影響を及ぼした。多くの豊後刀工が戦禍を逃れて他国へ移住し、豊後刀の伝統は一時的に断絶の危機に瀕した。しかし江戸時代に杵築藩が安定すると、藩士たちの刀剣需要を満たすため豊後の刀工が再び活動を再開し、藩主松平氏の蒐集品にも優れた豊後刀が含まれていた。 杵築城の武家屋敷群には現在も甲冑・刀剣・古文書類が個人所蔵の形で伝来しており、きつき城下町資料館では杵築の城下町・武家文化に関する資料を展示しており、大友・松平両家ゆかりの歴史資料に触れることができる。豊後刀の文化的系譜を理解する上で、杵築城は欠かせない参照点となっている。
見どころ
- 杵築城天守閣(復元) — 守江湾を一望する展望と豊後の歴史資料を展示
- サンドイッチ型城下町 — 国重要伝統的建造物群保存地区、全国唯一の地形
- 酢屋の坂・塩屋の坂 — 武家屋敷街と商人町を結ぶ石畳の坂道
- 一松邸(旧松平家別邸) — 明治・大正期の庭園建築を保存
- 杵築市立歴史資料館 — 豊後刀工・大友氏・松平氏ゆかりの刀剣・武具資料
- 守江湾の眺望 — 城山から望む豊後の海と城下町の絶景
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。