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日本刀にまつわる戦・事件・歴史的出来事
16件のイベント
長元元年〜4年(1028年〜1031年)
長元元年〜4年(1028〜1031年)、房総三国(上総・下総・安房)で勢力を誇った平忠常が受領支配に抗して挙兵。初代追討使・平直方は3年にわたり鎮圧できず、代わって甲斐守源頼信が追討使となると忠常は戦わずして降伏。乱の平定は河内源氏の東国進出と武家台頭の起点となった。
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永保3年〜寛治元年(1083〜1087年)
永保3年〜寛治元年(1083〜1087年)、陸奥・出羽で勃発した東北の覇権争い。源義家が清原氏の内紛に介入し、金沢柵を陥落させて覇権を確立。前九年の役と並ぶ東北二大戦役として、源氏の武威と「奥州合戦の伝統」を作り上げた。
承平7年〜天慶3年(937〜940年)
承平・天慶年間(939〜940年)に関東を舞台に起きた武装反乱。平将門が坂東八か国を制圧して「新皇」を称し、朝廷に対抗した。藤原秀郷・平貞盛連合軍が将門を討ち取り乱は鎮圧されたが、この反乱は武士の時代の幕開けを告げるとともに、刀剣産地の関東・東国への広がりを促す歴史的転換点となった。
承平5年〜天慶4年(935〜941年)
承平5年(935年)〜天慶4年(941年)、関東の平将門の乱と瀬戸内の藤原純友の乱が同時に発生した律令国家崩壊の象徴的大乱。武士階級の台頭と日本刀剣文化の転換を告げる歴史的事件。
延暦20〜21年(801〜802年)(延暦16年(797年)征夷大将軍任命)
延暦16年(797年)、坂上田村麻呂は征夷大将軍に任命され、延暦20〜21年(801〜802年)の第三次蝦夷征討で蝦夷の族長・阿弖流為を降伏させ、胆沢城を築いて鎮守府を移した。武力と懐柔を組み合わせた田村麻呂の征討は東北支配を確立したのみならず、後の源頼朝・足利尊氏・徳川家康へと継承される「征夷大将軍」という武家政権の象徴的称号の歴史的根拠を作った。この征討は日本における武士階級と刀剣文化の展開にとって不可分な出発点となった。
寿永2年閏10月1日(1183年11月17日)
寿永2年(1183年)閏10月、備中国水島で源義仲方の追討軍と平家水軍が激突した海戦。合戦中に金環日食が起こり、暦法を熟知していた平家方が動揺する源氏方を圧倒して大勝した。
寿永2年5月11日(1183年6月2日)
寿永2年(1183年)5月、木曾義仲(源義仲)が越中・加賀の国境に位置する倶利伽羅峠において、平維盛率いる平家大軍を大破した戦い。牛の角に松明を結びつける「火牛の計」の逸話で知られ、義仲の京都入りへの道を開いた源平合戦の転換点。
天慶2年〜天慶4年(939〜941年)
承平・天慶年間(939〜941年)、伊予国の元国司・藤原純友が瀬戸内海の海賊集団を率いて起こした反乱。同時期の平将門の乱(承平天慶の乱の東国部分)とともに律令国家の弱体化を象徴する事件であり、地方武士団と刀剣が歴史の表舞台に躍り出た転換期を代表する。
元暦2年2月19日(1185年3月22日)
元暦2年(1185年)2月、源義経が四国・屋島の平家軍を奇襲した源平合戦の重要な戦い。嵐の中の渡海、那須与一の扇の的、平知盛の奮戦——波打ち際での海陸一体戦は義経の天才的用兵を示し、壇ノ浦への布石となった。
仁安2年2月11日(1167年2月)
仁安2年2月(1167年2月)、平清盛は武士として史上初めて太政大臣に任じられた。保元・平治の乱での軍事的勝利を足がかりに朝廷内の地位を積み上げてきた清盛は、この最高位就任によって平氏政権の実質的な完成を告げた。外戚・姻戚政策と日宋貿易の経済力を背景とした平氏の専制支配は、刀剣を携えた武士が政治の頂点に立った日本史最初の事例であり、鎌倉幕府への道を準備した歴史的転換点であった。
1184年3月20日(寿永3年2月7日)
寿永3年(1184年)2月、源義経・源範頼率いる源氏軍が摂津国一ノ谷の平氏軍を奇襲した合戦。義経の「鵯越の逆落とし」は戦史に輝く奇策として名高く、平知盛・平清盛の甥・平敦盛の悲劇など刀剣文化・武士道に深く刻まれたエピソードを生んだ。
1159年12月9日〜26日(平治元年12月4日〜21日)
平治元年(1159年)12月、保元の乱に続く第二の武力政変。藤原信頼・源義朝が後白河上皇を幽閉したが、平清盛が電撃帰京して鎮圧。義朝は敗死し、幼い頼朝は伊豆へ流された。清盛の覇権確立と源氏の没落を決定づけた内乱。
1156年7月29日(保元元年7月11日)
保元元年(1156年)7月、後白河天皇と崇徳上皇の対立に平氏・源氏が介入した内乱。わずか一日で決着したこの戦いは武士が中央政治に台頭する歴史的転換点となり、平清盛・源義朝らが活躍した。
1051年〜1062年(永承6年〜康平5年)
永承6年(1051年)から康平5年(1062年)にかけて、陸奥国(東北地方)で勃発した源頼義・義家父子と安倍氏(安倍頼時・貞任)の戦乱。朝廷の権威が及ばぬ東国の平定において源氏が武名を高め、後の武家政権の礎を築いた。清原氏の援軍が勝利の鍵となった。
1019年4月〜5月(寛仁3年3月〜4月)
寛仁3年(1019年)、対馬・壱岐・九州北部を「刀伊」と呼ばれる女真族(女直)の海賊勢力が突如襲撃した事件。朝廷の対応が遅れる中、大宰府の武士・藤原隆家らが撃退に成功した。元寇の二百五十年前に起きた外国侵略の記録であり、武士台頭の契機となった重要な歴史的事件。
1016-01-01
11世紀前半、藤原道長・頼通父子の時代に摂関政治は頂点に達した。貴族文化が爛熟した一方、地方では武士が台頭し始め、日本刀の原形となる「蕨手刀」から「湾刀」への技術的転換期と重なる。摂関政治の終焉が院政・武士政権へと続く歴史の分岐点となった。