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名将たちが愛した刀剣とその物語
名城に秘められた刀剣文化の物語
歴史に名を刻んだ名刀たち
239 entries
Yagyū Munenori
将軍家剣術指南役——活人剣の思想で刀を治国の道具へと昇華させた剣豪大名
## 新陰流の家系 元亀二年(一五七一年)、大和国柳生庄に生まれた柳生宗矩は、徳川将軍家の剣術指南役として新陰流を天下に広め、剣術を単なる武技から治国平天下の「道」へと昇華させた剣豪大名である。父・柳...
Yamamoto Kansuke
甲斐の軍師——片目・片足の不具の身でありながら武田信玄に見出され、川中島で壮絶な討死を遂げた戦国一の謀将
## 不具の軍師、信玄に見出される 明応二年(一四九三年)頃、三河国(現・愛知県)に生まれた山本勘助は、片目・片手・片足に障害を持ちながらも、武田信玄に仕えた戦国時代最高の軍師として後世に名を残した。...
Chōsokabe Morichika
四国統一の夢を継いだ長宗我部家最後の当主・大坂の陣の悲劇
長宗我部盛親(1575-1615)は、土佐(現在の高知県)の戦国大名・長宗我部元親の四男として生まれ、長宗我部家最後の当主となった人物である。関ヶ原の戦い(1600年)で西軍に属して敗北し、土佐を没収...
Ishikawa Kazumasa
家康股肱の重臣、出奔して秀吉に走った岡崎城代
## 生涯 天文二年(一五三三年)、三河国に生まれた石川数正は、清和源氏の流れを汲む石川氏の一族で、父は石川康正。今川義元のもとで人質生活を送っていた少年時代の徳川家康に近侍として仕え、以後、酒井忠...
Ōtomo Yoshisuke
豊後府内の大友氏第二十代当主・二階崩れの変に倒れた九州の覇者
大友義鑑(1502-1550)は豊後国(現大分県)を本拠とした大友氏の第二十代当主で、大友宗麟(義鎮)の父。九州北部に強大な勢力を誇り、豊後府内(現大分市)を本拠に大友氏の勢力を広げた(府内が南蛮貿易...
Hikita Kagetomo
新陰流剣豪・疋田陰流の祖
疋田景兼(ひきた かげとも、天文6年・1537年〜慶長10年・1605年)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・兵法家である。通称は豊五郎(とよごろう)。「疋田文五郎」とも表記される。剣聖・上泉...
Asano Yoshinaga
豊臣五奉行の子・紀州和歌山藩初代藩主
浅野幸長(1576-1613)は、豊臣五奉行の一人・浅野長政の長男として生まれ、関ヶ原の戦いで東軍(徳川方)について活躍した武将であり、紀州(和歌山)藩初代藩主として同地の礎を築いた人物である。父・長...
Itagaki Nobuhira
武田二十四将の筆頭・信玄の懐刀として躍進した信濃攻略の英将
板垣信方(1489-1548)は武田晴信(信玄)の最重臣の一人で、武田二十四将筆頭に数えられる名将。武田信虎・晴信(信玄)の二代にわたって仕え、信玄の父・信虎を甲府から追放するクーデターでも重要な役割...
Kaihime
忍城の戦国女武将・石田三成の水攻めを防いだ伝説の弓の達人
甲斐姫(1572-没年不詳)は武蔵国・忍城主成田氏長の娘で、戦国時代を代表する女武将のひとり。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、石田三成が忍城(現埼玉県行田市)を水攻めにした際に城内に残り、女...
Murakami Yoshikiyo
武田信玄を二度撃退した信濃の雄・上田原と砥石城の勝者
村上義清(1501-1573)は、信濃国(現在の長野県)の戦国大名であり、あの武田信玄を二度にわたって撃退したことで名高い猛将である。上田原の戦い(1548年)と砥石城攻防戦(1550年)での勝利は、...
Matsudaira Nobuyasu
徳川家康の嫡男・信長の命で切腹させられた悲劇の若武者
松平信康(1559-1579)は徳川家康の嫡男で、幼少より武勇に優れ将来を嘱望された若武者。1563年に織田信長の娘・徳姫と婚約し、岡崎城主として三河を守った。武芸に秀でた気質は父・家康をしのぐとも評...
Inaba Ittetsu
西美濃三人衆の一角・頑固一徹に由来する剛直の老将
稲葉一鉄(1515-1589)は西美濃三人衆(稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就)の筆頭として知られる戦国武将。もとは斎藤道三・義龍に仕えたが、のちに織田信長に従属した。「一徹」の語源となったとも伝えられる...