※画像はイメージです。長宗我部盛親
Chōsokabe Morichika
四国統一の夢を継いだ長宗我部家最後の当主・大坂の陣の悲劇
解説
長宗我部盛親(1575-1615)は、土佐(現在の高知県)の戦国大名・長宗我部元親の四男として生まれ、長宗我部家最後の当主となった人物である。関ヶ原の戦い(1600年)で西軍に属して敗北し、土佐を没収されたが、その後も旧領回復を夢見て大坂の陣(1614-15年)に参加。豊臣方として奮戦したが最終的に捕らえられ、処刑された。その波乱の生涯は戦国の終焉を象徴する悲劇として語り継がれている。
盛親は天正3年(1575年)に長宗我部元親の四男として生まれた。兄たちが相次いで死去したため家督を継ぐこととなり、慶長4年(1599年)に元親の死後、長宗我部家の当主となった。しかし関ヶ原の戦い(1600年)では西軍(石田三成方)に加担し、四国での東軍との戦いには消極的であったとも伝わる。関ヶ原本戦では西軍が敗れ、盛親は土佐一国を没収された。
改易後の盛親は京都で浪人生活を送り、一時は寺子屋の師匠となって生計を立てた。しかし慶長19年(1614年)の大坂冬の陣が起こると、旧領回復と豊臣家再興を夢見て豊臣方として入城。翌年の夏の陣でも奮戦し、かつての土佐の精鋭を率いて徳川軍と戦った。大坂城落城後に逃亡を図ったが、捕らえられて六条河原で処刑された。享年41歳であった。
日本刀との関わりにおいて、盛親は土佐(高知)の刀剣文化と深い縁を持つ。長宗我部家の当主として、父・元親が蒐集・愛用した名刀を継承した。土佐は「土佐打刀」として知られる独特の刀鍛冶文化を持つ地域であり、盛親もその文化圏に育った武将である。大坂の陣に参加した際には、かつての家臣たちと共に土佐伝来の刀を携えて戦ったと伝わる。没落した大名の悲哀を体現する盛親の生涯は、戦国の刀剣文化が武士の命運と共に散っていく時代の証言である。
所持した刀剣
- 長宗我部家伝来・父・元親から継いだ土佐の名刀
- 土佐打刀の精粋・大坂の陣に盛親が携えた業物