※画像はイメージです。前田利長
Maeda Toshinaga
加賀百万石を継いだ前田利家の嫡男・関ヶ原で徳川に味方した賢将
解説
前田利長(1562-1614)は、戦国時代から江戸時代初期に活躍した武将・大名であり、加賀藩(現在の石川県・富山県)の初代藩主として知られる。父・前田利家の後を継ぎ、豊臣政権下の五大老筆頭格の家を引き継いだ。関ヶ原の戦い(1600年)では東軍(徳川家康)に味方して家名を存続させ、江戸時代を通じて外様大名最大の「加賀百万石」の基盤を確立した。
利長は永禄5年(1562年)に前田利家の長男として生まれた。母は芳春院(まつ)であり、豊臣秀吉の家臣として台頭した父・利家の下で武将として育てられた。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦い以降、父に従って各地の戦に参加し、豊臣政権確立後は、五大老の一人であった父・利家を支えた。慶長4年(1599年)の利家の死後、前田家の家督を相続し加賀藩主となった。
関ヶ原の戦い(1600年)では、前田家は当初から徳川家康の東軍に与し、西軍方の大聖寺城を攻略した。この判断は前田家存続において重要な分岐点となり、江戸時代を通じて外様大名でありながら加賀百万石の大藩を維持できた遠因となった。戦後は金沢城を居城として藩政整備に尽力し、城下町の発展と文化振興に取り組んだ。慶長14年(1609年)には高岡に隠居し、同19年(1614年)に逝去した。
日本刀との関わりにおいて、利長は加賀伝の刀剣文化を積極的に保護・育成した大名として名高い。加賀は古来より優れた刀工を輩出した地域であり、利長はその伝統を大切にした。前田家は「加賀前田家伝来」の名刀を多数所蔵し、その一部は現在も石川県立美術館などに保存されている。また利長は茶の湯を好む文化人でもあり、刀剣を文化的所産として鑑賞する素養を持っていた。加賀藩の刀剣文化振興は利長から始まり、江戸時代を通じて加賀伝の名刀が数多く生み出される礎を築いた。
所持した刀剣
- 加賀前田家伝来・利長が収集した名刀(石川県立美術館蔵)
- 加賀伝の精髄・利長が庇護した加賀刀工の優品