※画像はイメージです。徳川慶喜
Tokugawa Yoshinobu
第15代征夷大将軍(最後の将軍)
解説
徳川慶喜(とくがわよしのぶ、天保8年9月29日〈1837年10月28日〉〜大正2年〈1913年〉)は、江戸幕府第15代征夷大将軍。水戸藩主・徳川斉昭の七男として生まれ、一橋家を継いだ後、慶応2年12月5日(1867年1月10日)に将軍職を継承した。日本史上最後の征夷大将軍である。
将軍就任と大政奉還
将軍就任当初から、幕府の政治的危機と薩長勢力の台頭に直面した慶喜は、幕政改革と西洋式軍事強化を進めた。慶応3年(1867年)10月、慶喜は徳川政権の延命と新体制への参画を期して朝廷に政権を返還する「大政奉還」を断行した。これは武力倒幕を望む薩長に先手を打つ政治的決断でもあった。
鳥羽・伏見の戦いと恭順
大政奉還後も慶応4年(1868年)1月、旧幕府軍と新政府軍が鳥羽・伏見で衝突した。戦闘中、慶喜は突如大坂城を脱出して軍艦で江戸へ帰還し、以後徹底的な恭順の姿勢を示した。この行動は「臆病」と批判される一方、無用な流血を避けた決断として高く評価する見方もある。江戸城の無血開城(慶応4年4月)はこの恭順路線の象徴的事件である。
明治以降の生涯
水戸で謹慎した後、明治維新後は赦免を受け静岡で隠居。写真・狩猟・自転車などの趣味に没頭する余生を送った。1902年に公爵の爵位を授与され、1913年に76歳で死去した。幕末最後の将軍として、近代日本の誕生を見届けた数少ない人物の一人である。