※画像はイメージです。芹沢鴨
Serizawa Kamo
新選組初代筆頭局長——神道無念流の豪腕にして鉄扇を操る傑物、粛清によって散った新選組創設期の最高指導者
解説
水戸浪士にして神道無念流の剣客
生年不詳の芹沢鴨は、水戸藩の郷士出身とされる。水戸藩は尊王攘夷思想の中心地であり、芹沢は水戸の攘夷運動に関わっていたとされる。剣術は神道無念流を修め、その腕前は高く評価された。神道無念流は豪快な攻撃と素早い技を特徴とする流派で、芹沢の荒々しい気性と合致していた。
筆頭局長として新選組を率いる
文久三年(一八六三年)に結成された新選組(当初は壬生浪士組)において、芹沢鴨は近藤勇と並ぶ筆頭局長に就いた。水戸学の影響を受けた尊王思想と武勇を兼ね備えた芹沢は、組織の創設期において強力なリーダーシップを発揮した。しかし酒に溺れ、恐喝まがいの乱暴な行為や、大坂の商人を強迫して金品を巻き上げるなどの暴虐な振る舞いが目立ち、組織の評判を傷つけた。
鉄扇と愛刀
芹沢が武器として愛用したのは日本刀だけでなく、「鉄扇」(鉄製の骨格を持つ扇)でもあった。鉄扇は接近戦での打撃武器として機能し、日本刀と組み合わせた二刀流ならぬ「刀+扇」での戦い方は芹沢の個性を象徴するものであった。愛刀については諸説あるが、神道無念流の剣士として実戦向きの刀を帯びていたことは確かである。幕末に京都で活動した剣士として、当時の名工による業物を求めたとみられる。
粛清——新選組による暗殺
文久三年(一八六三年)九月十六日深夜、芹沢鴨は大坂で手に入れた女性・お梅と同衾中に、近藤勇・土方歳三らによって暗殺された。これは芹沢の乱暴な行動が組織の存続を脅かすと判断された結果の粛清であった。新選組を取り締まる立場の会津藩(松平容保)も、この粛清を黙認したとされる。芹沢の死は、近藤勇・土方歳三体制への権力移行を決定づけ、新選組は「鬼の副長」土方の鉄の規律による統制を受けた組織へと変貌した。
新選組の原点
芹沢鴨という人物は、新選組の創設期の混沌と可能性を体現している。水戸の尊王思想と神道無念流の剣技を持ち、組織を立ち上げた功績は紛れもない。しかし「暴虐」と評される行動が自らの命を縮めた。芹沢なき後に確立された近藤・土方体制こそが、後世に「新選組」として記憶される組織の実態であり、芹沢鴨はその前史を担った悲劇的な英雄として幕末史に刻まれている。
所持した刀剣
- 鉄扇(芹沢の象徴的武器。鉄製の骨格を持つ扇で打撃武器として機能した。日本刀と組み合わせた独自の戦い方は芹沢の個性を表す)
- 佩刀(詳細不明。神道無念流の剣士として実戦向きの業物を帯びていたとみられるが、特定の刀工名の記録は現存しない)