新着情報 — 最新の入荷情報はカタログをご確認ください。 商品を見る →
日本刀にまつわる戦・事件・歴史的出来事
8件のイベント
明治2年1月5日(1869年1月26日)
明治2年1月5日(1869年2月15日)、儒学者・横井小楠が京都寺町通で十津川郷士ら攘夷派6名に駕籠を急襲され暗殺された。享年61。明治新政府参与として招聘されていた小楠は発砲と斬撃を受けて絶命した。開明的開国論者が攘夷の刃に倒れた明治政府最初の要人暗殺であり、廃刀令前夜の日本刀の実戦使用を示す事件。
詳しく読む →
明治11年5月14日(1878年)
明治11年5月14日(1878年)、内務卿・大久保利通が東京府麹町区紀尾井坂で石川・島根県士族6名(主犯・島田一郎)に日本刀で16箇所を斬られ暗殺された。享年49。廃刀令施行(1876年)から2年後に発生し、使用された刀は現在も警視庁の特別資料室に保存されている。廃刀後の日本刀が政治的暗殺に使われた最後の大事件として明治史・刀剣史に刻まれる。
文久3年4月13日(1863年5月30日)
文久3年4月13日(1863年5月30日)、幕末の尊王攘夷論者・清河八郎が江戸麻布一ノ橋付近で幕府刺客・佐々木只三郎らに待ち伏せされ暗殺された。享年34。浪士組を率いて上洛し京都で尊王攘夷宣言を行った直後の出来事であり、この事件が新選組誕生の間接的背景となった。幕末の政治的暗殺と日本刀の実戦使用を象徴する事件。
建保7年1月27日(1219年2月13日)
建保7年1月27日(1219年2月13日)、鎌倉幕府3代将軍・源実朝が鶴岡八幡宮の石段で甥の公暁に暗殺された。右大臣拝賀の式典直後の凶行は、源頼朝以来の源氏直系将軍家を3代で断絶させ、北条氏による執権政治を決定的なものとした。太刀で首を打たれた実朝の最期は、日本史上最も衝撃的な政変の一つであり、その後の武家政権史に深刻な影を落とした。
万延元年3月3日(1860年3月24日)
万延元年(1860年)3月3日、大老・井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸・薩摩の浪士18名に暗殺された幕末最大の政治テロ。「安政の大獄」への報復として決行されたこの事件は幕府権威の崩壊を象徴し、「尊王攘夷」運動を激化させた。
1867-11-15
慶応3年(1867年)11月15日夜、薩長同盟の立役者・坂本龍馬は京都河原町の近江屋において暗殺された。享年33。大政奉還の成就を見届けた直後の死は、新時代の夜明け直前に散った悲劇として語り継がれている。犯人の正体は今日も確定されておらず、刀で斬り殺された最期は幕末に刀と銃が入り混じった時代の終焉を象徴している。
1701年4月21日(元禄14年3月14日)/ 討ち入り: 1703年1月30日(元禄15年12月14日)
元禄14〜15年(1701〜1703年)、播磨国赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城内で吉良上野介に斬りつけ改易となり、翌年に大石内蔵助率いる四十七士が吉良邸に討ち入りを果たした事件。日本の「義」と武士道を体現した歴史的事件。
1582年6月21日(天正10年6月2日)
天正10年(1582年)6月2日未明、天下統一目前の織田信長が京都・本能寺において家臣・明智光秀の謀反により討たれた。日本史上最大の謀叛として、後世に深く刻まれた事件。